スウィドラー『権威なき組織』──社会学総論2014年7月17日

2014年7月17日の社会学総論では、スウィドラー『権威なき組織──フリースクールにおける社会的コントロールのジレンマ』(Swidler, Ann, 1979, Organization Without Authority: Dilemmas of Social Control in Free Schools, Cambridge: Harvard University Press.)を参与観察法の事例として紹介しました。社会学総論で取り上げるのは今年度が初めてです。調査の対象は、子どもの意向を中心に民主的に学校が運営されるフリースクールです。こうしたフリースクールでは、教師の権威が自明視されているわけではありません。こうした権威を認められていない組織において、どのように組織の目標が達成されているのか、そして、権威を認めないことによる問題点は何か、これが著者スウィドラーの問いです。

日本では「不登校の子どもの通うところ」というイメージの強いフリースクールですが、アメリカでは成り立ちが異なります。アメリカの1960年代は激動の時代でした。ケネディ大統領の暗殺、キューバ危機、ベトナム戦争への介入といった政治の不安定さとともに、公民権運動や女性運動、若者たちの対抗文化(カウンター・カルチャー)が花開きました。時代の雰囲気は、既存の権威の問い直しです。白人、男性、年長者といった「偉い」とされていたものが疑問にふされました。教師の権威もその一つです。こうして生まれたのが、「教師の権威に拠らずに、教師と生徒が平等な関係のなかで、子どもの学びたい気もちを中心に学校をつくる」というフリースクールです。1960年代後半から1970年代前半にかけて、多くのフリースクールがアメリカで作られました。

さて、教師の権威とは何でしょうか。「教師は生徒より知識をたくさんもっている」「その知識は役に立つ」というのが、教師の権威の前提です。そうした前提を認めるからこそ、生徒は素直に教師の指示にしたがいます。一般的な学校は、こうした教師の権威によって成り立っています。しかし、フリースクールは、こうした教師の権威を認めません。それにもかかわらず、フリースクールでも教育活動がおこなわれています。フリースクールで教育活動を成り立たせている教師の権威に代わるものは何か。これがスウィドラーの研究の問いです。一般的に表現すれば、権威なき組織において一般的な組織における権威の機能を果たしているものは何か、ということになります。

スウィドラーによれば、フリースクールが教師の権威の代替物として発達させた方法は、(1)パーソナルな影響力(personal influence)、(2)集合的コントロール(collective controls)、(3)地位の平等化(status equalization)、という3点になります(Swidler 1979: 12)。

パーソナルな影響力とは、教師と生徒が互いによく知ることで親密な感情的絆を築き、こうしたパーソナルな人間関係を軸にフリースクールの教育活動がおこなわれているということです。フリースクールでは、こうしたパーソナルな人間関係を築くために、長時間、教師と生徒が一緒にすごし、プライベートなことまで語り合います。こうしたパーソナルな人間関係で問われるのが、教師の人間的な魅力です。

集合的コントロールとは、「みんなで何かをしたい」「集団の一員として認められたい」という連帯感を求める気もちを軸に教育活動をおこなうということです。フリースクールでは、授業以上に、ミーティング、サークル活動、イベントといった全員でつくり上げる活動にエネルギーが注がれています。たとえば、ミーティングでは、意思決定に必要な時間以上に議論が交わされています。つまり、ミーティングは、ものを決めるというよりも、みんなで議論をして連帯感を高める点に意味があるのです。

地位の平等化とは、生徒を劣った存在とみなさないということです。生徒は知識が注がれるのを待つだけ空っぽの容器ではありません。フリースクールでは、生徒は自発的な存在であり、授業に参加することが求められます。授業の内容も、生徒が関心を持つことであれば好ましいものとされます。それは、授業の目標が、知識の伝達ではなく「自分を知ること」に置かれているからです。

教師の権威の代替物として上記の3つの方法で教育活動をおこなうフリースクールですが、こうしたやり方に問題はないでしょうか。スウィドラーは、そこにフリースクールのジレンマを見ています。

パーソナルな影響力でスウィドラーが指摘するのは、教師の疲弊です。スウィドラーによれば、フリースクールの教師は、あまりにもたいへんなので、1~2年しか続かないそうです。自らの人間的な魅力を磨き、生徒と親密な深い関係を長時間続けることは、教師に多大な負担をあたえます。

集合的コントロールでは、フリーライダーが問題となります。「自分さえ良ければ」という利己主義が広がって行事に参加する生徒が減れば、行事自体が成り立たなくなってしまいます。このため、フリースクールの活動は、盛り上がりと停滞という大きな波をもった不安定なものになりがちです。

地位の平等化は、教師の動機づけに影響します。「知識のある教師が知識のない生徒に役立つ知識を授ける」という従来の教師の権威や役割を否定するフリースクールでは、生徒が必要とする知識を教師が事前に習得して教師主導で生徒に伝えるということができません。したがって、教師は、生徒の自発性を待つという受動的な立場に置かれます。

このように、権威を疑って、自由で平等な人間関係にもとづく組織を作ったとしても、それでハッピーエンドというわけにはいかないのです。これが、スウィドラーの言う「フリースクールにおける社会的コントロールのジレンマ」ということになります。こうした悩みは、フリースクールだけではなく、ボランティアの組織などでも見られるだろうと思います。


講義ノートはこちら(MS Word, 49Kb)
https://1drv.ms/w/s!Au4k6YKQM1eZgY5pJhbTDkxSnvgqEA


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