都市的環境の出現(1920年代のアメリカ)──地域社会学I2012年10月26日

10月26日の授業では、NHKスペシャル「映像の世紀 第3集 それはマンハッタンから始まった――噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした」(1995年5月20日放送)を見てもらいました。その意図は、村落的環境と対照的に位置づけられる都市的環境のイメージを作ってもらうことにあります。番組を見ていただければすぐに感じると思いますが、とにかく「人、人、人」です。どの画面も、人の群れでいっぱいです。

しかも、この人の群れは、互いのことをよく知りません。異なるライフスタイルをもった人たちが短時間で移動しながら密集して暮らす都市的環境では、匿名性の高い人間関係にならざるえないからです。匿名性の高い大量の人びとの群れを「群集」と呼びます。都市の群集は、村落的環境しか知らない当時の多くの人びとにとって、得体の知れない不安の対象でした。

この群集の正体はいったい何であり、どうすれば都市に秩序を生み出すことができるのか。1920年代に都市社会学の原型をつくったシカゴ学派の人びとは、こうした根本的な関心をもって研究にあたっていたと思われます。次回以降の授業では、シカゴ学派社会学を取り上げていきます。彼ら・彼女らの研究の前提となっている1920年代アメリカの都市的環境について、この番組を通して知っていただきたいと思います。

今週金曜日の11月2日は休講します。次回の授業は11月9日になりますので、お間違えのないよう、よろしくお願いいたします。


講義ノートはこちら(MS Word, 36Kb)
https://1drv.ms/w/s!Au4k6YKQM1eZgY51DBLnFbsJcochXw


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講義ノートテキスト版
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20121026地域社会学I(1920年代アメリカ)

都市的環境の出現──1920年代のアメリカ

授業のねらい
 村落的環境と対照的に位置づけられる都市的環境のイメージを、以下のNHKの番組を視聴してもらって、作ってもらう
 NHKスペシャル「映像の世紀 第3集 それはマンハッタンから始まった――噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした」(1995年5月20日放送)──DVD(NHKソフトウェア)(75分)
 村落的環境
 同じライフスタイルをもった人たちが同じ場所に長時間暮らす
 互いが顔見知りの深い人間関係
 都市的環境
 異なるライフスタイルをもった人たちが短時間で移動しながら密集して暮らす
 匿名性の高い浅い人間関係
 こうした人びとの群れを「群集」と捉えた


『映像の世紀 第3集 それはマンハッタンから始まった――噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした』の内容

第1章 オープニング

マンハッタン ニューヨーク

アメリカへ向かう移民を乗せた船
エリス島 マンハッタンの南 移民局 アメリカへの忠誠を誓い、入国検査に合格して、あこがれのマンハッタンにわたった
第一次世界大戦後 アメリカへの移民が急増 戦渦に巻き込まれなかったアメリカは、移民にとっての新天地

1920年代のマンハッタン すでに摩天楼が立ち並ぶ
大量の情報が流れ始め、大衆のさまざまな欲望が噴き出す
人は富と快楽を求めて奔走し、ダイナミックな大衆社会が形成されつつあった
現在の大衆社会のルーツ
光と陰、繁栄と奈落

第2章 ジャズ・エイジの始まり

マンハッタン1919年
第一次世界大戦が終わって半年
毎日のようにヨーロッパから帰ってきた兵士たちの凱旋パレードが続いていた

スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティー』より
アメリカの1920年代を代表する作家
当時のマンハッタン
「ニューヨークの街はまるで世界の誕生を思わせるような虹色の輝きにむせていた。帰還した連隊は五番街を行進し、若い娘たちはまるでそれにひきよせられるように、東や北にその足を向けた。アメリカこそが最高の国であり、そこかしこにお祭り気分が充ちていた」

ジャズ
黒人たちだけの部隊 第359連隊 地獄の勇者たち
軍楽隊がジャズを演奏 「ドイツが毒ガスを使っても占領できなかったフランスをジャズで征服した」
100万人が出迎え 黒人がこれほどの大衆に歓迎されたことはない ただし、黒人への偏見が消えたわけではない

ハーレム
元は白人の街だったが、戦争による労働力不足のため、各地からニューヨークに黒人がたくさんやってきた
ハーレムは、活気ある黒人の町に生まれ変わった

ハーレムのコットンクラブ
黒人音楽のメッカ 歌って踊る
キャブ・キャロウェイ
デューク・エリントン

マンハッタンの摩天楼建設
1900年頃に始まり、1920年代には建設ラッシュを迎える
アメリカ繁栄の象徴であり、狭い土地を有効利用する20世紀の都市の原型
あるイギリス作家「どんな犠牲を払っても利益を追求する資本主義精神の強欲さの象徴」と記述

第3章 世界はその時

フランス、パリ 1919年1月
ベルサイユ会議 第一次世界大戦の戦後処理
27カ国の参加 主役は、イギリス・フランス・アメリカ
アメリカのウィルソン第28代大統領 国際連盟構想
アメリカ議会は、「アメリカは世界の紛争に関わるべきではない」と国際連盟に不参加を決める
以後、アメリカは、もっぱら経済的な成長に努める

ドイツ、ベルリン
巨額の賠償金を課せられ、インフレに悩む
工業生産力の低下 失業者の増大
物価は、戦前の1兆倍を超える マルクはただの紙切れになる「パン1個 1兆マルク」

ロシア 1921年
干ばつに見舞われる 飢饉 300万人の餓死者

イギリス 1921年
ヨーロッパ5カ国訪問 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇) イギリスに立ち寄る
世界に日本の存在を誇示する機会

第4章 チャールストン

戦地から戻ってきた若者たちは、スピードと興奮、現世をより楽しもうという享楽的な気分をアメリカにもたらす
チャールストンの爆発的流行 ジャズにあわせて奔放に身体を動かす
モラル革命 古いモラルからの解放と新しい性意識の誕生

ラジオ
1920年秋 世界で初めてピッツバーグで始まる
スポーツ、ニュース、ジャズが流れていく

当時の婦人雑誌『レディス・ホーム・ジャーナル』より
「最近、忌まわしいジャズオーケストラとやらが、そののたくるような音楽で人の感覚を刺激しようとしている。感覚中枢に直接訴えるような耳障りな音楽をまき散らしているのである。若者たちがこのような経験をしても、まだ道を誤らずしていられると信じる人がいるならば、神よ、彼らを救い給え」

高校生の息子を持つ母親の手記より
「女の子とは昔より大胆になっています。彼女たちは、私の娘時代には絶対できなかったような調子で、男の子に電話をかけて、デートをしようとします。私の息子は、3人の女の子からひっきりなしにダンスに誘われて、生活を台無しにしています。私の娘時代には、お化粧なんて、不良少女のやることでした。でも、この頃はね。ご覧ください。これが良家の娘さんたちがすることですから」

フラッパー
時代の変化に敏感だったのは女性
短い髪と短いスカートが流行
美顔術やパーマネントの発明、美容師が高額納税者に名を連ねる

マンハッタンの地下鉄工事
厳しい仕事 移民や黒人が働く
都市に流入する移民たちがあふれ、おどろくほど低賃金で労働に従事
移民たちが、繁栄の1920年代の基盤を支えていた
新しく海を渡ってきた移民は、先に祖国から来ていた移民を頼って暮らす

イタリア人移民の手記より
「私が育ったのは、まるで映画の舞台になりそうな地獄の台所と呼ばれるところだった。アパートの住人たちは、みんな貧しくて大変な生活だったが、助け合って暮らしていた。私たちは、ハドソン川でよく泳いだ。いつも20人くらいの子どもたちがいて、桟橋から飛び込んだり、本当に楽しかった。思い返せば、あのハドソン川のごみためのなかを泳いでいた」

第5章 ヒーロー誕生

ボクシング
ジャック・デンプシー
1926年までの7年間、世界ヘビー級のチャンピオン
アメリカの片田舎から夢を抱いてニューヨークにやってきて、栄光の座をつかんだ
スポーツ興行の世界で、初めて100万ドル試合を行う
以後、スポーツが大イベントの対象となるきっかけを作る
ジャック・デンプシー自伝より
「興行師のテックスが、試合の前に言っていたことが今も記憶に残っている。『いいか、ジャック。チャンピオンを作るのは大衆だぞ』。宣伝も功を奏したのか、試合の頃には、信じられないような騒ぎになった。『ジャック、ジャック、こんなのって初めてだぞ。もうすでに100万ドルに達した上に、まだどんどん客がやってくる。しかも、その客だよ。女だ。上品なご婦人方が何千人もだ』」。

野球
ベーブ・ルース
1927年 ホームラン60本・通算714本を記録
ニューヨーク・ヤンキースで3番・4番を打つルー・ゲーリック

ラジオ
マンハッタンの住人の手記より
「ラジオの世界、それは、私にとってリアルそのものだった。まるで目の前に映画スターやミュージシャンがいるかのように思えた。ある日のこと、私たちがラジオを聴いている間に、女の子が近くの井戸に落ちたことがあった。誰もそのことが気づかず、井戸の落ちてしまった女の子が見つかるまで三日もかかったのだ。どこにいても、『何か新しいこと聞いた?』と言うのが、人びとの合い言葉だった」

ブロードウェイ
世界の商業演劇、ことにミュージカルの中心になる
音楽を伴う演劇ならば、ラジオで流され、レコードも売れる。
このことがブロードウェイのミュージカルを繁栄させる
ジョージ・ガーシュイン
ジャズと伝統的ヨーロッパ音楽を融合させた天才作曲家 「ラプソディ・イン・ブルー」

ジャズエイジと呼ばれた華やかな1920年代
こうした大衆社会は、もう一つの陰の側面を持つ

第6章 渦巻く排他主義

不寛容・移民制限・暴動

ニューヨークの労働者によるデモ
1920年代の初めは、アメリカ史上、もっともストライキの多かった時期
ストライキの目的は、賃上げや労働条件の改善より、むしろ産業の国営化を求めるものが多かった
多くの大衆は、ラジオに毎日流れる過激な運動のニュースを聞いて、アメリカにロシア革命が上陸するのではないかという不安を感じていた

1920年 ウォール街でのテロ
ニューヨーク証券取引所のすぐ近くにあったモルガン商会(=金融会社)のビルが爆破
世界の金融資本の中枢をねらったこの事件は、確かな証拠もなく、犯人は共産主義者とされ、大衆の恐怖を駆り立てる

共産主義者追放の先頭に立ったのが、司法長官ミッチェル・パーマー
共産主義の指導者たちを、「ソビエトの箱船」に乗せて、ソ連に一斉追放
1920年元日、アメリカ全土でアナーキストと目される4000人を検挙

クー・クルックス・クラン(KKK団)
19世紀テネシー州に生まれた秘密結社
白人のアメリカ人を優秀な人種と考え、黒人・ユダヤ人・共産主義者・移民などを否定
1922年頃、あらゆる階層の白人500万人が会員
テロやデモによって社会が騒然とし、移民が急増した1920年代前半に、大衆の不安感を利用して組織を拡大

大規模な黒人暴動
1921年7月 オクラホマ州タルサ
1922年 シカゴ
第一次大戦後で、白人とともに戦ったという誇りから、黒人の間に平等を求める意識が高まっていた
これまでおとなしく白人に従っていた黒人の暴動は、多くの白人大衆にとって恐怖の対象
各地で、黒人の弾圧や、クランによるリンチが続いた

サッコとバンゼッティの冤罪事件
1920年春 ボストン
殺人犯として、靴職人サッコ、魚の行商人バンゼッティ ともにイタリア移民
証拠が不十分にもかかわらず、死刑の判決が出される
移民であり、アナーキストと見られたため、裁判官や陪審員の心証を悪くした
サッコとバンゼッティの不当逮捕は、世界中の知識人に抗議行動を巻き起こした
この事件をきっかけに、排他主義を貫いていたアメリカの国民のなかにも、アメリカの人道主義を問う声が出てきた
1927年8月、サッコとバンゼッティは、電気イスで処刑される
およそ50年後の1977年になって彼らの無罪が認められる

第7章 禁酒法
1920年1月17日、全国で禁酒法施行
不道徳な行いの元凶となる酒はいらない
1917年までに、27の州で禁酒法が導入
背景として、戦争という非常時のため、穀物を節約すること、ビール業者に敵国のドイツ人が多かったこと
当時の政治の真のねらいとしては、労働者である移民の飲酒の習慣をやめさせること

禁酒法は、まったくのザル法
摘発されてもすぐに釈放される業者たち
子どもが怪しい酒を飲まないように、ちゃんとした本物の酒を与える親
医療目的と称して薬局を通すと、ウィスキーを手に入れることができた。医者は、1枚2ドルで処方箋を書いてくれた

スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティー』より
「私は言葉にならない声で叫び始めていた。そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が、望むものすべてを手に入れてしまった人間であり、もうこの先、これ以上、幸せにはなれっこないんだということが」。

アル・カポネ
禁酒法の施行によって始まった密造酒の製造やもぐり酒場の経営は、都市に巣くう犯罪組織に莫大な資金をもたらした
禁酒法が、ひいては、賭博・売春・殺人などのギャングの横行を許していった
都市の陰の部分が形作られていった
アル・カポネ イタリア移民の家として生まれ、暗黒街の帝王にのし上がった
1920年代は、カポネは、法の目をかいくぐってきたが、1931年、脱税と禁酒法違反容疑で逮捕

第8章 世界はその時

日本
関東大震災 1923年9月1日 死者・行方不明者 10万7500人
7割の家屋が焼失
シベリア丸
日本からの移民船 1924年6月24日 サンフランシスコに到着
1924年 アメリカ 移民を制限する法律が制定
日本人移民は、7月1日をもって全面禁止

パリ 1925年
黒人ダンサー ジョセフィン・ベーカー
褐色の裸体、扇情的な身体の動きで、新しいアメリカニズムを示す
戦後の退廃的なパリの雰囲気を吹き飛ばす
アメリカが生んだ最初のセックス・シンボル

ソ連 1924年
レーニンの葬儀
スターリンがソ連共産党の権力を一手に握るようになる

ドイツ 1929年
ナチス党のアドルフ・ヒトラーが、人びとの支持を確実に集めていた

イタリア
ファシスト党のベニト・ムッソリーニは、一党独裁の政治体制を既に確立していた

第9章 氾濫する情報と投資ブーム

土地ブーム・株・スキャンダリズム

1920年代後半になると、ラジオ・新聞・ニュース映画を通して同時に大量の情報を受け取るようになる
このことが、社会を動かす決定的な要因となる

スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティー』より
「1927年のニューヨークのせわしなさは、ヒステリーの一歩手前とでも評すべきものであった。かくのごとく浮かれ騒ぐ街にあっては、たゆまぬ努力など一文の値打ちもない。というわけで、稼業という言葉が、からかい半分に使われはじめた。手っ取り早く金の稼げるもの。これがすべて稼業である。私の行きつけの床屋は、株に50万ドルばかり投資して引退していたし、私のテーブルまでやってきて、あいさつしたり、あるいは、あいさつし忘れたりする給仕頭たちは、考えてみれば、私などよりはるかに金持ちであった」

ウォール街・ニューヨーク証券取引所
1920年代後半、アメリカ大衆の大きな関心の一つは、株式市場の動向
企業家・労働者・主婦に至るまであらゆる階層の人びとが株を買い、ラジオの株式市況に耳を傾けた
大衆が株価の暴落など予想もしなかった理由は、自分たちの周りに満ちあふれていた豊かな生活と、好景気への信頼
1927年第1週 株の取引高が史上最高を記録
実体は信用貸し 10万ドルの現金しかないのに100万ドルの株を買う 90万ドルはブローカーや銀行が簡単に貸してくれた

建築ブーム
大都市郊外にまで及ぶ
自動車の普及で、通勤圏や行動範囲が広がった
低い建物を取り壊して、それより高い建物を建てれば儲かった

家庭電化製品の普及
電気洗濯機・冷蔵庫など
主婦に自由な時間が生まれた
通信販売の登場 地方でもマンハッタンでも同じファッションが可能

農村の悲惨な状態
戦争中の食糧増産で過剰な設備投資をした農村が、1920年代の農作物価格の下落によって一気に不況に陥った
地方銀行は、焦げ付いた借金によって経営危機に陥った
多くの農民が離農

物質的に豊かになった大衆は、好奇心のはけ口をラジオに求めた
1920年代にラジオを通して大衆の好奇心をそそった3つの出来事
(1)1926年ブロードウェイ、ハリウッド俳優ルドルフ・バレンチノの死に女性10万人が参列
(2)1925年、ケンタッキーの青年が洞窟を探検中に落盤に見舞われ、足を岩に挟まれ脱出できなくなる。全米のラジオや新聞は、20日間にわたって、青年が衰弱していく様子を克明に報道
(3)1925年テネシー州、ダーウィンの進化論は聖書に反するということで学校で教えていなかった。これに反して、裁判になる。全米にラジオ中継。判決は、進化論を教えた教師は有罪で罰金100ドル。進化論を教えてはならないという法律が廃止されたのは、1968年

第10章 昭和

ぼんやりとした不安・張作霖

1920年代 上海 欧米列強の租界地のにぎわい
1927年4月、国民革命軍の蒋介石による反共クーデタで、労働者や共産党員が多数殺される
アメリカやフランスなどの欧米列強が軍を派遣

日本
1928年11月 昭和天皇即位式
モダンガール アメリカ式ショートヘアの流行
1927年12月 日本初の地下鉄(上野-浅草間)

満州奉天
満州に住む日本人は23万人 日露戦争後に移民した人たち
関東軍が1万人駐屯
満州は、日本にとって資源の宝庫
「満蒙は日本の生命線」というスローガンのもと、国家戦略が進められようとしていた

中華民国陸海軍大元帥張作霖の爆殺
1928年6月奉天郊外
満蒙領有の障害となった張作霖を、革命軍の仕業に見せかけて、関東軍が殺す

1929年、ドイツから世界最大の飛行船ツェッペリン号が霞ヶ浦に来る
歓迎式典には、10万人が集まる

芥川龍之介と菊池寛
1927年、芥川「ぼんやりした不安」という言葉を残し36歳で自殺


第11章 リンドバーグ

崩壊

1927年 
リンドバーグ ニューヨーク──パリ間の大西洋横断無着陸飛行
睡魔と戦いながらの33時間30分後、パリに到着
リンドバーグの帰国のために、アメリカ大統領クーリッジは、海軍の巡洋艦を送る
一夜にしてアメリカを代表する英雄になった
ニューヨーク5番街でリンドバーグをたたえた紙吹雪は、「マッチ一本でマンハッタンが火事になる」と言われたほど前例がない

ジャーナリストのF・アレン『オンリー・イエスタデイ』より
「数年にわたってアメリカ国民は、精神的飢餓状態にあった。彼らは、次から次へと以前の理想や幻想、希望が壊されていくことに気づきつつあった。宗教の土台を崩し、その感傷的な考えをあざけり笑う科学の教義と心理学説によって、そして、猥雑と殺人とで食っている新聞の傾向によって壊されていくのだ。人びとのリンドバーグに対する気持ちは、巨大な宗教が復活したかような様相を呈したことに何の不思議があろうか」

スコット・フィッツジェラルド『ジャズエイジのこだま』より
「何か光り輝く異様なものが空をよぎった。同世代の人びととは何も共通点も持たないかに見えた一人のミネソタ出身の若者が、英雄的行為を成し遂げた。しばらくの間、人びとは、カントリークラブで、もぐり酒場で、グラスをしたに置き、最良の夢に思いをはせた。そうか、空を飛べば抜け出せたのか。われわれの定まることをしらない血は、果てしない大空にならフロンティアを見つけられたかもしれなかったのだ。しかし、われわれは、もう引き返せなくなっていた。ジャズエイジは続いていた。われわれは、また、グラスを上げるのだった」

1920年代最後の年、1929年を迎えても、好景気は続いていた
人びとは、堅実な貯蓄には見向きもせず、株を買い続けていた

9月3日、株価は、市場最高値を記録するが、その後は、小さな下落を繰り返す
しかし、人びとは、好景気に支えられた強気相場は、永久に続くと信じていた
いわゆるバブル経済の崩壊を予見することは不可能だった

1929年10月24日、株価は、突然、大暴落した
5日後、それを上回る株価の総崩れが起きた。大恐慌の始まり
10月30日、取り付け騒ぎで大混乱するウォール街

繁栄の極みから奈落の底へ
現代社会のルーツとも言えるアメリカの1920年代は、大恐慌の始まりで幕を閉じる

アメリカから始まった恐慌は、第一次世界大戦の痛手からようやく立ち直り始めた世界に、瞬く間に広がった
世界は、恐慌から抜け出ようとしながら、やがて、ファシズムが台頭する時代へ向かっていく

(番組おわり)




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