研究報告「不登校の居場所における四局面とスタッフの役割」(第63回日本教育社会学会大会)

9月23日から25日の連休は、お茶の水女子大学(東京都文京区)で開催されていた「第63回日本教育社会学会大会」に参加していました。最終日9月25日午前中の一般部会「教育病理(2)」で、「不登校の居場所における四局面とスタッフの役割──モデル化の試み」というタイトルで研究報告をさせていただきました。

不登校の居場所づくりを記述するのにずっと迷ってきましたが、少しずつ記述の枠組みが整理されてきたように感じています。下記の配布資料をもとに、できるだけ早く論文にまとめたいと考えています。


当日の配付資料はこちら(PDF、431kb)
http://dl.dropbox.com/u/22647991/2011%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E9%85%8D%E4%BB%98%E8%B3%87%E6%96%99%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88.pdf

当日の説明用パワーポイントはこちら(MS PPT 2010、93kb)
http://dl.dropbox.com/u/22647991/20110925%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99%E8%82%B2%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E5%A4%A7%E4%BC%9A%EF%BC%88%E9%AB%98%E5%B1%B1%E9%BE%8D%E5%A4%AA%E9%83%8E%EF%BC%89%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%89%88.pptx



==========
配付資料テキスト版
==========


第63回日本教育社会学会大会(お茶の水女子大学、2011年9月25日)


不登校の居場所における四局面とスタッフの役割
──モデル化の試み──

高山龍太郎(富山大学)


問題設定
 不登校の現場では、居場所について「ありのままで居られるところ」という一定の共通理解1が得られつつあるものの、居場所に関する研究はまだ模索段階にある。本報告の目的は、(1)これまで漠然と捉えられてきた不登校の居場所づくりを四つの局面から把握できることを示し、 (2)それぞれの局面におけるスタッフの役割を明らかにし、不登校の居場所についての理解の深化を試みることである。
 居場所は、そもそも日常の空間や人間関係に宿るものであり、普遍的な存在と言える。たとえば、家庭がほっと安心できて「ありのままで居られるところ」であれば、家庭がその人にとっての居場所と言える。このような居場所は、あってあたり前のいわば空気のようなものである。そうした「普段着の居場所」に対して、不登校の居場所づくりは「居場所のない子どもたちのために居場所をつくる」という目的のもとに人工的に作られた「事業としての居場所」である。そこには、「普段着の居場所」にはない有給スタッフや経営問題などが存在している。したがって、スタッフの役割について検討することは、不登校の居場所を理解するうえで鍵となる。
 本報告が提出するモデルは、参与観察をおこなった複数の居場所づくりの事例を接合するかたちで構成されている。主に念頭に置いている居場所は、「射水市子どもの権利支援センターほっとスマイル」(富山県射水市)と「フリースペースたまりば・えん」(神奈川県川崎市)である。ほっとスマイルは、射水市と特定非営利活動法人こどもの権利支援センターぱれっとによる公設民営の子どもの居場所であり、週5日開所している。来所する子どもの数は1日平均6名程度で、 平日は20歳まで利用することができる。1日100~300円が必要であり、常勤スタッフが2名いる。報告者は、2003年の立ち上げ時から運営するNPOの理事としてかかわり、約3年間は集中的にスタッフとともに居場所の運営を実際におこなっていた。もう一つ、西野博之を代表とする「フリースペースたまりば・えん」(神奈川県川崎市)は、開設から20年の歴史をもつ大規模な居場所である(西野 2006)。開設場所や運営方法には変遷があるが、こちらも川崎市との公設民営で運営されている。週5日開所し、1日に平均30から40名くらいの子どもがやってくる。年齢制限はなく、利用料は無料である。スタッフは1日平均5から8名ほどで運営している。以上の二つの居場所のほか、フリースクール全国ネットワークのフリースクールや、サドベリーバレースクールをモデルにしたデモクラティックスクールなども参考にしている。


居場所における子ども観と人間関係の基本形
 不登校の居場所づくりは、「子どもには自ら動き出す力が内在する」という子ども観にもとづいている。これは「十分に休息してエネルギーをためれば、子どもは自然と自分の力で動き出す」という性善説的な前提になっている。それは、「子どもの状態が整わないうちに、登校刺激のような援助的な関わりを大人がすると、子どもの状況がより悪化する」という慎重な態度とも裏表の関係にある。
 そうした子ども観にもとづき、居場所におけるスタッフと子どもの間の人間関係の基本形は「子どもを操作の対象としない」2ということである3。言い換えれば、「子どもの自発的な動き出しを待つ」ということになる。こうした居場所の人間関係は、たとえば、あらかじめ定められたカリキュラムがないように大人が目標を設定しないことや、互いの人格やペースを尊重して「声はかけるが、しつこく誘わない」という自由参加や、互いにあだ名で呼び合うような対等な関係に表れている。このような考え方のため、子どもが居場所にいつ来ていつ帰るかも自由である。こうした人間関係の基本形にもとづき、居場所では、何げない日常を自然体で共に楽しく生活していく。


不登校の居場所が目指すもの
 不登校の居場所が何を目指しているかについて、現場で明示的に語られることは少ない。実際の活動も、一見、単なる普通の生活を送っているように見えて、とらえどころがない。しかし、不登校は「学校に行かない(行けない)」という現象であり、不登校の居場所のあり方も学校という存在に影響されている。
 子どもにとって、学校は基本的に他律的な場と言える。そもそも学校に行くことはあたり前とされているうえに、学習目標は大人があたえ、その達成度によって子どもが評価される。そして、子どもたちは、その評価によって将来が決まると思っている。不登校のつらさとは、「学校に行くことに象徴される大人の定めた他律的な目標、および、それを達成できていない自分」という目標と現実の不一致(アノミー)の状態に置かれ、「そうした不一致を解消せねば自分の将来に悪影響をおよぼす」という思い込みから、焦りや不安にさいなまされることである4。さらに、周囲の人びとが周囲の人びとによる「学校に行ったほうがいい」などの言葉かけが子どもにプレッシャーをかける。その結果、子どもは、心身ともに疲労困憊し、学校に行けない自分を否定するようになる。こうした疲労や自信喪失によって社会性(他者とのコミュニケーション)や耐性(困難を克服する粘り強さ)が低下し、よけいに物事がうまくいかなくなる。自分を守るために、やむなく引きこもる。しかし、孤立した状態で長期間引きこもることは、自己否定の悪循環を生み出しかねない。
 不登校の居場所に来る子どもは、このような経過をたどった子どもが多いと思われる。しかし、不登校のタイプはさまざまであり、それぞれのタイプに適合する対応法があると思われる。たとえば、東京都立多摩教育研究所では、社会性と耐性という二軸をクロスさせて、「育てる群」(耐性低・社会性低)、「気持ちの解放をはかる群」(耐性高・社会性低)、「耐性をつける群」(耐性低・社会性高)、「進路適応をはかる群」(耐性高・社会性高)という四つの類型を導き出している(小林 2002)。このうち、居場所づくりが想定している不登校像にもっとも近いのは、「育てる群」だと思われる。育てる群への対応は、「育てるという心持ちで気長に、ていねいなかかわりが必要」(小林 2002: 23)とされ、「まず信頼関係を築くことを目指す そのために、本人の興味あることをとりあげ、積極的にかかわることでエネルギーを満たす→ 本人の欲求や気持ちを受けとめ、自己表現を引き出す → 耐性がつくよう根気強くかかわる」(小林 2002: 24)とまとめられている。その他、「気持ちの解放をはかる群」には心理カウンセリング、「耐性をつける群」には行動療法的なトレーニング、「進路適応をはかる群」には自分に向いた学校やフリースクールへの転校、といった対応が適しているように思われる。
 以上から、不登校の居場所づくりが目指すのは、「他律的な場である学校で自信を失い孤立していた子どもたちが、多様な人びとと生活をともにしながら長時間かけて生きる力を育む場」と言うことができるよう。


居場所の四局面とスタッフの役割
 不登校の居場所で過ごす子どもたちは、次の四つの局面を経験しながら、自律性を回復していくものと考えられる。これらの四局面は、いくつかが同時並行で展開されているほうがむしろ日常である。第1局面から第4局面へは、直線的ではないが、おおよそ段階的に進むと考えられる。それぞれの局面では、活動の主題、子どもの人間関係、スタッフの役割などが変わってくる。

第1局面:他律的な目標の無効化──抑圧からの解放
 この局面は、「自信を失い、心身ともに疲れ果てている」「引きこもりによる自己否定の悪循環に陥っている」という子どもが最初に出てこられる局面として想定されている。この局面の主題は、目標(学校に行く)を保留して現実(学校に行っていない)を受け入れて、自己否定をもたらすアノミーの構造を解消することである。そのためには、学校に行くことを是とする世間的な価値観から居場所が隔絶される必要がある5。この第1局面では、子どもはいわば繭のような安全な空間のなかで安心して十分に休息することが推奨される6。
 第1局面では、子どもは独りで静かに過ごすことが多い。不登校に起因する自信の無さと居場所の人間に不慣れであることから、人間関係には慎重である。物思いにふけることもある。スタッフは、そうした子どもの姿をやや距離を置いて見守り、必要に応じて寄り添う。子どもを特別視しないごく普通の接し方が大事である。やがて、子どもは場に慣れて緊張がほぐれてくると、しだいにスタッフとのやりとりが増えていく。
 第1局面におけるスタッフの主な役割は、世間に対する防御壁である。世間の価値観とは逆の「学校に行かなくても、今のままで、あなたは十分素晴らしい」という現状肯定のメッセージを伝えようとする。ただし、それが押しつけにならぬよう、何気ない雰囲気のなかで伝えられる。その一方で、子どもから話してきた時は、それを傾聴して理解・受容する7。この局面のスタッフの役割は、「守護者兼カウンセラー」と言える。

第2局面:好きなことへの没頭──生きていることの実感
 居場所に来てもしばらくは、子どもの気持ちのなかは否定的感情で覆われている。第2局面では、ひたすら何かに夢中になることで、子どもは「うれしい・たのしい・おいしい」といった肯定的な感情が自分のなかでわきあがってくることを確認する。さらに、そうした感情を周囲の人びとと共有することで、喜びが倍増することを経験する。ここでの特徴的な活動は、「目標とその達成」という目的-手段の行為ではなく、自己目的的な「遊び8」「食事」「おしゃべり」などである。肯定的な感情の体験と共有の繰り返しが、「今ここで生きている」という実感につながり、「ここが私の居場所である」という感覚を醸成していくと思われる。
 第2局面での子どもの人間関係は、好みを同じにする異年齢の子どもの小集団である。そこには、スタッフも同好者として加わることもできる。その集団のメンバーはある程度固定する傾向もあるが、活動の難易度は比較的低いので、新規のメンバーも加わりやすい。なかには、いくつかの遊びの輪をはしごするような子どももいる。
 この局面でのスタッフは、表面的には「ただの遊び仲間」である。しかし、スタッフは、子どもと一緒に遊びながらも、周囲への配慮は欠かせない。「しんどい思いをしている子どもはいないか」「一緒に遊びたいと思いながら加われない子どもはいないか」など、常に注意を払っている。スタッフは、活動の背後で、子ども間の関係を調整する役割も担っている。こうしたさりげない気遣いをするためには、子どもが帰ったあとのスタッフ・ミーティングで一人一人の子どもの状況について情報を共有しておく必要がある。また、外遊びなどでは、子どもが気づきにくい危険を察知して、安全な環境を確保する役割も大事である。第2局面でのスタッフの役割は「ガキ大将」的なものと言えるかもしれない。

第3局面:自らの目標設定と達成──成長の実感と社会的認知の獲得
 この局面では、子ども自らが目標を設定し、その実現に向けて努力する。「目標とその達成」という図式は学校と同じだが、目標を設定する主体が子ども自身である点が異なる。居場所には、大人が決めるカリキュラムがない。じゅうぶん休息し遊んだ子どもたちは、退屈する。この退屈が、自分なりの目標を見つける原動力のように思える。
 この局面の代表的な活動には、発表会に向けて音楽や演劇の練習をすることなどが挙げられる。また、自ら選んだ進路に向けて勉強することなども該当しよう。第2局面と第3局面の違いは、同じスポーツであっても「楽しいからやる」(第2局面)と「うまくなりたいから練習する」(第3局面)という違いに表れる。目標を達成するにはさまざまな困難があり、それを乗り越える努力が必要である。目標達成を周囲の人間に認められることは、成長を実感する機会であり、不登校で失った自信を回復する上でたいへん大きい。こうした成功体験の積み重ねが、困難を克服する粘り強さ(耐性)につながっていくと思われる9。
 第3局面における子どもの人間関係は、多様である。第2局面では、居場所の人間関係にもとづいて活動がおこなわれることが基本だが、第3局面ではやりたい活動にもとづいて人間関係が構築されることもある。そのため、居場所の外にも人間関係がひろがっていくこともある。
 第3局面でのスタッフの役割は「助言者」である。スタッフは、子どもの求めに応じて、目標達成に向けた子どもの努力を手助けする。そして、目標に到る過程でその達成具合をほめる「評価者」でもある。ただし、スタッフが前から引っ張るのではなく、伴走者という立ち位置である。また、スタッフだけの力では、子どもの目標達成が困難な場合には、外部講師を探したりするなど「コーディネータ」の役割も果たす。

第4局面:居場所運営への参画──責任と秩序形成
 この局面は「自らの居場所の維持」というメタレベルの活動になる。居場所は自動的に存続するわけではなく、その維持には課題やトラブルを克服していかねばならない。この局面での活動の典型例は、ミーティングへの参加である。ミーティングでは、日常の活動やイベントを企画したり、トラブル発生時には居場所のルールを作ったりする。ミーティングでは、子どもも大人も等しく一票をもつ。また、イベントなどで裏方仕事を担うことも第4局面の活動に該当しよう。
 この局面では、自分が意見を言うだけでなく、皆にとっての最善を実現するために、他者の意見を考慮に入れながら自分の意見や行動を調整することが求められる。多様な人びとが集まるなかで意見や行動を調整することは忍耐力を必要とする10。それでもミーティングが成り立つ根源には、「ここが自分たちの大好きな場所」という共通認識があるためだと思われる。こうした活動は、「コミュニティの一員としての責任を負いながら、自由のなかで秩序を形成していくこと」と位置づけられ、社会性を育む上で大事である11。
 この局面の子どもの人間関係は、「仲間」や「同志」という言葉に象徴される。第2局面での一体感は身体的なものを基盤としているが、第4局面での一体感はより理知的なものをベースにしているように思える。

居場所におけるらせん運動
 居場所に来る子どもたちは、第1局面から第4局面へ直線的に段階を踏んでいくわけではない。むしろ、それぞれの局面を行きつ戻りつしながら、らせんを描くように少しずつ自分の関わる局面を増やしていくように見える。それにしたがって、らせんの円弧も次第に大きく広がり、居場所の外の「他律的な世界」にも出て行く12。
 こうしたらせん運動の円弧が拡大・安定し、居場所外の「他律的な世界」と「居場所」を行き来するかたちが、不登校の居場所づくりの最終的な到達目標だと思われる。居場所のなかで一生を過ごすことはできないが、他律的な世界で疲れたときは、いつでも居場所に戻ってくることができる。このような「帰る居場所がある」という余裕が、他律的な世界と適度な距離感で付き合うことを可能にするように思われる。


居場所における四局面の比較


 居場所の四局面は、どれか一つに限っておこなわれているよりも、いくつかの局面が同時並行で展開されているほうが日常である。具体的な光景で言えば、居場所の子どもたちは、いくつかのグループに分かれて、それぞれ異なった活動をしている。その理由は、居場所に来る子どもたちの年齢は多様であり、なおかつ、居場所に来てからの年月もさまざまであるので、一人一人の子どもにとってそのときどきで適した局面は異なるからである。それにもかかわらず居場所が成り立っているのは、「自由参加」という原則が存在するからである。この原則おかげで、局面の「棲み分け」というかたちで、それぞれに適した局面が子どもに保障されている。こうした居場所のあり方は、年齢と能力をそろえて一斉に同じ活動をする学校とは対照的である。
 ただし、あらゆる居場所に四局面すべてが備わっているわけではない。規模が大きく歴史の長い居場所では、子どもたちのニーズに合わせて四局面が備えられていくが、規模の小さい歴史の浅い居場所では、必ずしも四局面すべてを備えているわけではない。主宰者の考え方や好み、そのときにやってくる子どもの状態などによって、どの局面に重点を置くかは異なる。また、局面の重点の置き方は、自分の場所をどのように呼ぶかにも反映されている。図式的に示せば、自らの場所を「居場所」「フリースペース」と呼ぶところは第1・第2局面に力点があり、「フリースクール」「デモクラティックスクール」と呼ぶところは第3・第4局面に力点があるように思える13。この違いは、第1・第2局面の「ありのまま」という存在志向と、第3・第4局面の「望んだものに変わる」という達成志向の差に起因していると思われる。
 居場所のなかで複数の局面が同時並行でおこなわれるのには困難がともなう。四局面の性質は異なっており、それぞれの局面で取るべきスタッフの役割も違ってくる。例えば、居場所外部との関わりは、第1局面では不要(むしろ害悪)だが、局面が進むにつれて増えていく。また、子どもやスタッフがミーティング(第4局面)をしているすぐ横で、子どもたちが大声を出しながら遊んでいる(第2局面)のは、やはり困ったことである。同時並行で展開する四局面を調整することは、居場所運営上の一つの課題である。
 具体的な四局面の調整法の一つは、「空間」で活動を分けることである。居場所の建物にいくつか部屋があるならば、たとえば、独りで静かに過ごしたい子どものための部屋(第1局面)を作ったり、ゲームなどをする遊び部屋(第2局面)を作ったり、発表会に向けてバンド演奏の練習部屋(第3局面)を作ったりする。居場所外にある公園などの施設を活動に使うのも、空間を分離する例と捉えられよう。空間の余裕がない場合は、活動を「時間」で分ける。たとえば、午前中は静かにすごし午後は活動的にすごすなど一日のなかで時間を分けることもできるし、曜日によって活動のテーマを変える方法も取られる。ただし、空間や時間を分けるのは積極的におこなわれるわけではないように思われる。異なる局面が同居しても特に問題が生じなければ、分離はおこなわれない。その背景には、機能的に分離することへの忌避感や、一つのコミュニティという理想があるように思われる。




参考文献
小林正幸, 2002, 『先生のための不登校の予防と再登校援助』ほんの森出版.
西野博之, 2006, 『居場所のちから──生きてるだけですごいんだ』教育資料出版会.


 本報告は、科学研究費補助金「不登校の居場所づくりにみる現代のコミュニティ形成──シカゴ学派社会学からの接近」(若手研究B、課題番号20730330)の研究成果の一部である。




1 「川崎市子どもの権利に関する条例」(2000年12月可決)は、「子どもの居場所」について、「(子どもの居場所) 第27条 子どもには,ありのままの自分でいること、休息して自分を取り戻すこと、自由に遊び、若しくは活動すること又は安心して人間関係をつくり合うことができる場所(以下「居場所」という。)が大切であることを考慮し、市は、居場所についての考え方の普及並びに居場所の確保及びその存続に努めるものとする。 2 市は、子どもに対する居場所の提供等の自主的な活動を行う市民及び関係団体との連携を図り、その支援に努めるものとする。」と規定している。
2 「あのころのぼくは、学校に行っていない子どもに出会った一人のおとなの責任みたいなものを感じていて、学校に行かない代わりに、いろいろなことを教えてあげようと考えていた。公民館や協会の一室を借りてゲームを使って工夫した算数や漢字の「授業」なんかもやった。博物館や工場見学、遺跡発掘などの体験学習にも出かけた。アスレチックやボウリングなどのスポーツで汗を流したり、いろんなところに遊びに出かけた。当時、ボクは”得意“になっていた。子どもたちの”味方“を自認していた。勉強の相手、相談相手、遊び相手。いいお兄さんを気取っていた。(中略)当時の社会状況のなかで、自分が生きていることにすら自信がもてない状況に追いこまれていた子どもたちを前にして、ぼくがやったことは、彼らによかれと思って「学校」の外にもう一つ別のソフトな「学校」を用意しようとしていただけなのではないか。学校に行けずに苦しんでいた彼らに、「大丈夫、君のそのまんまでOKだよ」と言うのではなく、「変わらなければいけない、いろいろなことを身につけたり、挑戦したりしなければいけない」というメッセージを送りつづけていたのではないか。それを見透かしたように、彼らは屋根裏を「占拠」して、自分たちを守ろうとした。そんなふうにぼくには感じとれたのだった。このときから「たまりば」の基本方針が決まった。カリキュラムやプログラムを一方的に作って与えるという関係はやめにしよう。いままで誰かが決めたプログラムを一方的につくって与えるという関係はやめにしよう。いままで誰かが決めたプログラムを小さいときからただひたすら「こなす」ことを要求されて育ってきた子どもたち。いや、「こなす」だけではダメ。教師や親から”評価“されるようにこなさなければならない。その過程で、いやというほど自信をそぎ落とされてきた子どもや若者にたくさん出会ってきた。」(西野 2006: 30-2)
3 たとえば、神奈川県川崎市で20年あまり不登校の居場所づくりをおこなっている「フリースペースたまりば・えん」の西野博之代表は、スタッフとの話し合いの結果、「「居場所のスタッフ心得一五ヵ条」(西野 2006: 168)をまとめている。具体的な項目は、以下のとおりである。・ともに生きる場──一人ひとりがそのつくり手、・一緒にいるよ、・まずは話を聴こう、・「導く」よりも寄りそって、・すきまが大事、・時間を味方につけよう、・煮つまらないで「だ・も・ど」、・場のちからを信じよう、・情報はひとりじめしない、・自分の問題? 相手の問題?、・自分の「ものさし」を疑おう、・「正しい」ことは控えめに言おう、・すべては生きていくためのプロセス、・生きているだけでスゴイんだ
4 「小学校一年生のシュン君は、声をふりしぼるように言った。「ぼく、もうおとなになれない」。こぶしを固く握りしめ、目を大きく見開いたまま、にらみつけるように言い放った。つぶらな瞳からは、いまにも大粒の涙があふれようとしていた。シュン君は、誰よりも入学を楽しみにしていた。買ってもらったランドセルを背負って、新しい小学校生活を迎えるのを待ちわびていた。ところが四月が過ぎ、五月の連休が終わるころから、からだが変化が訪れるようになった。朝起きて学校に行こうと思うのに、思うようにからだが動かない。お腹も痛くなる。なんでそうなるのか、自分でもよくわからなかった。前日の夜には時間割をそろえ、ちゃんと服も枕もとに用意してから寝るくらい几帳面な男の子だった。みんなが通う学校に行けなくなってしまった。きっとこのまま、中学にも高校にも行かなくなってしまうに違いない。大学生になることも、仕事をもつこともできないんだ。まだ六歳の小さなシュンにとって、おとなへとつづく最初の階段を踏みはずしてしまったという、いいようもない不安感は計りしれないものだった。」(西野 2006: 16)
5 「居場所をつくりあげる前提として、まずおさえておかなければならないことがある。それは、安易に世間の評価をもちこまないということだ。(中略)ふつうとか、当たり前とかいう、誰が決めたかわからないような「世間一般」のものさしが場のなかに入りこむと、とたんに居場所は色あせて、安心していられないところになっていってしまう。」(西野 2006: 170)
6 「何もしない、ただ時間を無駄にしているかのようにボーと過ごしているときに、気づきやひらめきに至ることがある。しっかりと休息し、充電することで力を蓄えることが、次の活力につながることもある。それまで、他者からの評価ばかり気にして「何かやらなければ」と、むりを重ねてきた子どもが少なくない。何もしない、そのことによってマイナスの評価を受けないということが、ちゃんと保障されていることが大きな意味をもっているのだと、場をつくりながら、気づかされてきた。」(西野 2006: 56)
7 「とにかく、はっきりしていることは、いま学校に行かない(行けない)という事実。その事実を、その子のいまのありようを、親や教師、周囲の大人がそのままを受けとめ、理解しようと努めること。世間的な価値のものさしから、本人を否定的に見るのではなく、自尊感情を育むようなまなざしのもとで本人に寄りそい、かかわりつづけること。そのように、子どもをとりまく周囲の大人たちの視線が変化し安定してくれば、子どもははじめて自分を引き受けられるようになっていく。そのことが、何よりも本人が自分の足で歩みだす準備へとつながっていくのだ。私はこのことにこだわってきたのである。」(西野 2006: 113-4)
8 「ゲームにトランプ、プロレスごっこ、昼飯を一緒に食べたあとは、すぐ近くを流れる多摩川の河原に飛び出すのが当時は日課のようになっていた。「たまりば」の名前の由来になった多摩川(タマリバー)は、子どもたちにとって自由な遊びの空間であり、まさに「たまり場」でもあった。河原でサッカー、ドッジボール、野球、鬼ごっこ。疲れたら芝生に寝転んで、流れる雲を見ながら昼寝。草花をつんだり、石投げしたり。そして当時おきまりのようになっていたのは、川への落としあい。ゲンキは真っ先に誰かを川に引きずりこみ、結局自分も落とされて、ずぶ濡れになるのだった。少しはきれいになったとはいえ、臭いの残る多摩川で苔や泥にまみれて遊んだあとで、びしょ濡れの身体を引きずって商店街を歩き、銭湯に直行する日々。その間にコインランドリーで服を洗って乾かして……。いまになって思い起こせば、あわただしくも、目の前を流れるゆるやかな多摩川の流れのように、ゆったりと時間が流れていた。「学校」に行かない時間を、彼らはフルに遊びきっていた。」(西野 2006: 26-7)
9 「学校の外にあって、年齢制限を設けず、いたいだけいてもいい「たまりば」のような「居場所」のなかで、「自分自身をOKと引き受けることのできる自信をどうやって身につけるか」、これがわたしたちが抱えてきた長年の重要なテーマの一つである。「たまりば」で始めた「仕事づくりプロジェクト」は、そのためのきっかけづくりにすぎない。不登校の子どもたちを集めて学歴不問の終身雇用の会社を創りだすことが目的なのではまったくない。仕事でお金を稼いだり、ボランティア活動をしたりすることを通じて、自分がひとの役に立つ、ひとから頼りにされる存在であることを確認する。それが「自信」をつくりだすことにつながれば、そんな思いでスタートしたのだった。」(西野 2006: 99)
10 「学校の学級会などで傷ついたと訴えるひとがけっこう多いので、ミーティングのもち方には長年苦労している。「たまりば」のような異年齢(いまは六歳から三七歳)の集まりであり、また、「障がい」などの背景をさまざまなにもちあわせている人たちとともに語りあうので、ミーティングとは、参加する人たちには、子ども、おとなを問わず、忍耐を要する時間でもある。そこでお茶やお菓子を用意して、なるべく緊張しない雰囲気づくりに心をくだいている。」(西野 2006: 54)
11 「二〇人、三〇人という異年齢の子どもやおとなが狭いスペースに集まってくるんだから、好きなことだけじゃなくて、どこかでがまんして、それなりにおりあいをつけて共存しているわけで、社会性が身につかないなんてピントはずれの指摘はあたらない。」(西野 2006: 33)
12 「それまで(引用者注:1997年頃)、私たちには調査などというものには縁がなかったから趣旨は異なるかもしれないが、一度そのことを知っておくのもいいかなということで、ゆるやかな追跡調査をおこなうことになった。「いまどうしている」とか「そのあとどうしていた」という話を聞いたときに、どういうわけだか子どもたちがけっこう学校に戻っている、あるいは戻っていないにしても、高校段階(大検予備校やサポート校を含めて)でなんらかの学び舎を選択している子たちが多いことがわかって驚いた。なんと九割近くが、学校に戻っているというか、もう一度、学校やそれに関連した学び場を選択しているという結果が出たのだ。これにはほんとうにびっくりした。(中略)私たちは、学校復帰ということを看板に掲げたこともないし、戻ることを目的にしたことはない。(中略)あくまでも学校に戻る戻らないというのは結果であって目的ではないというのが、わたしたちの一貫したスタンスだった。(中略)子どもたちの話を聴いてみると、「バイトの募集に『高校卒業以上』って書いてあるから高校に行かないと仕事がないんだ」という声や、「小・中学校は行っていないけど、高校で学園生活というのを味わってみたいと思ったからだよ」と話してくれたりした。」(西野 2006: 112-3)
13 「「フリースペース」という言葉にこれといった定義があるわけではないのだが、おおざっぱにいって、「フリースクール」が従来の学校とは異なるオルタナティブ(もう一つの)な学びの場をめざしたのに対し、「フリースペース」はまずもって「居場所」であることを意識した場作りであるといえる。ただしこれも、出発点においてどちらに力点をおくかくぐらいの違いであって、フリースクールのなかにも居場所性が必要なのは当然であり、フリースペースのなかにもさまざまな学びの要素がつまっていることはいうまでもない。」(西野 2006: 52)



居場所のちから―生きてるだけですごいんだ
教育史料出版会
西野 博之

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 居場所のちから―生きてるだけですごいんだ の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


"研究報告「不登校の居場所における四局面とスタッフの役割」(第63回日本教育社会学会大会)" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント