社会学総論20110729後半(ゴッフマン『アサイラム』)

7月29日の社会学総論(後半)は、参与観察法の実例その2ということで、ゴッフマン『アサイラム』(1961年)を紹介しました。アサイラムとは収容所のことで、調査の舞台は1950年代アメリカの精神病院です。ゴッフマンは、精神病院の患者たちが作り出す社会的世界を知るために、参与観察を1年間実施します。彼は、体育指導主任の助手という立場で、Tシャツ、ジーンズ、バスケット・シューズという服装で、患者たちと一緒に生活していきます。

当時の精神病院は、ゴッフマンを憤慨させるものでした。ゴッフマンの眼には、治療を目的としているはずの病院が、さまざまな剥奪によって患者を無力化し、選別的に分配された特権体系を学ばせることによって患者を操作しているように映ったからです。これでは、病院に従順な患者が生み出されるだけで、退院は遠のくばかりです。しかし、このような病院の操作化に対して患者たちが「第二次的調整」で抵抗していることも、ゴッフマンはあわせて指摘しています。

増加の一途をたどっていたアメリカの精神病院入院患者数は、ゴッフマンが参与観察をおこなっていた1955年をピークに減少していきます。『アサイラム』は、1960年代以降の「病院から地域社会へ」という精神医療の流れの一助になったと考えられます。ゴッフマンが示した精神病院の姿は、映画『カッコーの巣の上に』(1975年)に具体的に描かれています。こちらを見ていただくと、より理解が進むと思います。


<高山龍太郎のブログ過去記事より>
富山病院看護学校社会学20110525(映画『カッコーの巣の上で』前半)
http://r-takayama.at.webry.info/201105/article_12.html

富山病院看護学校社会学20110601(映画『カッコーの巣の上で』後半)
http://r-takayama.at.webry.info/201106/article_3.html

富山病院看護学校社会学20110608(社会のルールと逸脱)
http://r-takayama.at.webry.info/201106/article_7.html

富山病院看護学校社会学20110615(病院が病人を生み出す可能性)
http://r-takayama.at.webry.info/201106/article_11.html

富山病院看護学校社会学20110622(開かれた精神医療と精神障がい者が地域で暮らす可能性)
http://r-takayama.at.webry.info/201106/article_12.html



講義ノートはこちら(MS Word, 35Kb)
http://dl.dropbox.com/u/22647991/2011072902%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E8%AB%96%EF%BC%88%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8E%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%80%8F%EF%BC%89.docx


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講義ノートテキスト版
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2011072902社会学総論(ゴッフマン『アサイラム』)

ゴッフマン『アサイラム』1961年──参与観察②

調査企画
時代背景(藤澤 1989: 78-9)
 アメリカの精神医療の転換期
 アメリカで増加の一途をたどっていた精神病院の入院患者数が1955年にピークに達する
 ゴッフマンが聖エリザベス病院で参与観察をおこなっていたのは1955年から56年かけての1年間
 1956年からの5年間に、精神病院への入院に反対する最初の波が高まる
 向精神薬の発見による治療方法の変化
 入院コストの問題
 精神病院に対する批判の高まり
 患者の人権問題
 1955年に約56万人だった入院患者数は、1975年に約19万人にまで減少する(約3分の1になった)

『アサイラム』のテーマ
 精神病院の患者に対してなされるさまざまな「剥奪」とそれに対する「抵抗」の過程を、被収容者である「精神病患者の側の視点」から捉える(藤澤 1989: 79)
 「聖エリザベス病院での実地調査をするに当って私が直接の目的としたのは、入院患者の社会的世界について、それが患者によって主観的に体験されているままに、知りたい、ということであった」(ゴッフマン 1984: i)
 アサイラム(asylum)
 収容所(養老院、孤児院、精神病院など)
 全制的施設(total institution)
 「多数の類似の境遇にある個々人が、一緒に、相当期間にわたって包括社会から遮断されて、閉鎖的で形式的に管理された日常生活を送る居住と仕事の場所」(ゴッフマン 1984: v)
 全制的施設の5類型
 (1)一定の能力を欠き無害と感じられる人びとを世話するための収容所
 盲人、老人、孤児、障がいのある人のための収容所
 (2)自分の身の回りの世話ができず、自己の意思とは関係なく社会に脅威をあたえると感じられている人びとのための収容所
 結核療養所、精神病院
 (3)社会に意図的に危害を加える人びとから社会を守るための収容所
 刑務所、矯正施設、強制収容所
 (4)仕事を効果的に遂行するための収容所
 兵営、寄宿学校、合宿訓練所
 (5)世間からの隠棲のための施設
 僧院、修道院
 全制的施設の一例:映画『カッコーの巣の上で』
 ch.7から9(27分18秒から39分09秒、約12分間)を鑑賞
 全制的施設における生活の3つの特徴
 (1)生活の全局面が同一の場所で同一の権威に従って送られる
 (2)構成員の日常活動の各局面が同じ扱いを受け、同じことを一緒にするように要求されている多くの他人の面前で進行する
 (3)毎日の活動の全局面が整然と計画され、一つの活動はあらかじめ決められた時間に次の活動に移る
 一般社会から隔離された精神病院にいることの問題
 ホスピタリズム、インスティテューショナリズム
 施設の生活に過剰に適応してしまうと、一般社会に適応できなくなる
 「1950年代から60年代にかけて、バートンをはじめ、インスティテューショナリズムに関して、つまり精神分裂病の長期入院患者の荒廃状態などの症状は、精神分裂病に特有の病状の進行過程ではなく、病院やそこで働く職員が作りだしたものではないかということに関して、精神医学界で議論が活発になされるようになった」(丸木 2000: 54)
 「病気を治すはずの病院が病人を生み出している」という逆説の指摘

著者ゴッフマンについて
 Erving Goffman、1922年から82年
 カナダ出身のアメリカの社会学者
 1945年、トロント大学社会学科卒業
 1945年、シカゴ大学入学社会学科入学
 1949年、エジンバラ大学社会人類学部インストラクター、シェトランド諸島でフィールドワーク
 1952年、有力紙『ボストン・ヘラルド』取締役の父をもつアンジェリカ・チョートと結婚
 1953年、シカゴ大学から社会学の博士号を得る
 1954年から57年、国立精神衛生研究所の社会-環境研究実験室の客員研究員
 1955年から56年、聖エリザベス病院で参与観察(『アサイラム』の調査)
 1957年、H.ブルーマーの誘いで、カリフォルニア大学バークレー校社会学部に勤務
 1964年、妻アンジェリカが自殺
 1968年、ペンシルバニア大学に勤務
 1980年頃、言語学者ギリアン・サンコフと結婚
 1982年11月20日、ガンのため死去。60歳
 ミクロな日常生活における人びとのやりとり(相互作用)の秩序を分析する
 「儀礼的無関心」「役割距離」「印象操作」などの概念を提出


調査設計
 調査期間:1955年から56年の1年間
 調査場所:聖エリザベス病院
 首都ワシントンにある連邦政府が経営する精神病院。7000人の患者を収容
 ゴッフマンが聖エリザベス病院で調査をすることになった経緯には、『孤独な群衆』で絶頂期にあったD・リースマンの紹介があった(ヴァンカン 1999: 118)


データ収集
 患者たちが作り出す社会的世界を知るには「参与観察法」が最適な方法
 「当時も現在も変わらない私の信念は、どんな人びとの集団も──それが囚人であれ、未開人であれ、飛行士であれ、また患者であれ──その人びと独自の生活[様式]を発展させること、そして一度それに接してみればその生活は有意味で・理にかなっており・正常であるということ、また、このような世界を知る良い方法は、その世界の人びとが毎日反復せざるを得ぬ些細な偶発的出来事をその人びとの仲間になって自ら体験してみること、というものである」(ゴッフマン 1984: i-ii)
 体育指導主任の助手という立場で、病院内で患者と一緒に生活する
 「私は、職員との交際をさけ、また鍵ももち歩かず、終日患者と一緒に時をすごした」(ゴッフマン 1984: i)
 「ゴッフマンは職員の白衣は着ずに、Tシャツ、ジーンズ、バスケット・シューズ姿である。そういう格好で彼は正体不明の雰囲気を漂わせていた、ことにバスケット・シューズを脱いだときにはそうである。「私は、患者のような服装をして、患者と一緒に食事をした。よくかれらとつきあった」と、のちに語っている」(ヴァンカン 1999: 121)


データ分析
精神病院における患者の社会的世界(丸木 2000)
 精神病院は、患者の自己変容に関する「公式目標」をもち、それに照らして職務が遂行される。しかし、仕事そのものは、公式の目標よりも「その場の秩序の維持」という観点からおこなわれることも多い
 患者の自己変容を達成するために、精神病院は患者に対して「自己の無力化」と「自己の再組織化」をおこなう
 (1)自己の無力化──過去の自己を初期化して白紙にする
 さまざまな「剥奪」を通して達成される
 (a)それまでの日常生活における「役割の剥奪」
 入院するまでの「父親」「課長」といった役割は認められず、「患者」という役割があたえられ、それに従わざるをえなくなる
 (b)団体生活による「パーソナルなテリトリーの剥奪」
 人は、相手によって許容できる距離が異なる。狭い空間における団体生活では、親しくない相手であっても、親しい人にのみ許される距離のなかに入れて生活しなければならない。
 (c)「情報の聖域(プライバシー)の剥奪」
 治療という目的のもと、患者は自分の過去を話さざるをえなくなる。話したくない不本意な過去のことであっても、「治療のため」と言われて、話すことをうながされる
 (d)「アイデンティティのための用具一式(identity kit)の剥奪」
 服装や髪型など「自分らしさ」を表現する用具一式に制限が加えられるので、自分という感覚を維持するのが困難になる
 (2)自己の再組織化──初期化された白紙の自己に病院の価値体系を書き込む
 患者に「特権体系」を選別的に分配する
 特権の例:タバコ、コーヒー、テレビをみる権利
 日常生活では誰にでも認められているたわいもないこと
 「看護士は患者に様々な特権を与えることができるが、同時に彼は患者を罰することもできるのだ。特権は以下のようなものである。すなわち一番いい仕事、いい部屋とベッド、病棟でコーヒーを飲むというようなちょっとした贅沢、一般の患者よりもわずかばかり豊かなプライヴァシィ、監督されずに病棟の外に出られること……(中略)病棟の看護士が課しうる罰というのは以下のようなものである。すなわち一切の特権の停止、心理的虐待──罰のほのめかし、個室への患者の拘禁……」(ゴッフマン 1984: 55)
 いわゆる「アメとムチ」によって病院は患者をコントロールする。特権とは「アメ」のこと。
 「その最終目標は、多くの場合に、非協調的になる理由をもつ人びとから協調性が得られるようにする、ということだ」(ゴッフマン 1984: 55)
 患者は「第二次的調整」(secondary adjustment)によって、自分が単に病院に操作されるだけの存在でないことを示す。それは一種の「抵抗」である
 「第二次的調整は被収容者に、自分は環境を何程か制御できるのだからまだ自分自身の主人公なのだ、という重要な証拠を与えるものである」(ゴッフマン 1984: 57)
 (1)状況からの引きこもり(situational withdrawal)
 白昼夢や幻想によって自らを全制的施設から引き離す
 「退行」という名称でよく知られている現象
 (2)妥協の限界線(intransigent line)
 意識的に施設に挑発的な態度をとり、みなにわかるようなかたちで職員との協力を拒絶する
 自己アイデンティティへの攻撃の限界を絶えず周囲に伝達する行為
 (3)植民地化(colonization)
 施設内で入手できるものから最大限の満足を得ることで安定的で比較的充実した生活を確立する。
 患者は、病院外の生活よりも病院内での生活を好ましいものと考え、病院内の生活をできるだけ自由なものにしようとする
 「たとえば、患者に体育の時間をせがむものがいた。というのは、うまく立廻れば、日中、地下体育館備えつけの相当柔らかな体育用マットを、病院生活最大の楽しみの一つである昼寝に、使うこともできたからである。類似のことに、予診病棟の患者の中には二週間に一度の顔剃りを待ちわびる者がいる、ということがあった。もし床屋の椅子が空いていたら、ほんの数分間のことだが安楽な椅子の坐り心地を楽しむことがときにできたからである。(体育指導の担当者や理容師は事情をよく理解していて、ただ見ぬふりをしていればすむことだと感じていた。患者はそれをよいことに椅子を利用するのだった。こういうことはこの病院全体を通して在りうる一つの事態でありまた問題でもあったのである。)病院の洗濯室で働く患者は地下の浴室で独りで自分の好きな速さでひげを剃ることができた。──このことは病院では大変な特権なのだ」(ゴッフマン 1984: 229-30)
 (4)転向(conversion)
 職員の見解を受け入れ、非のうちどころのない患者として自発的にふるまう
 転向の2類型
 精神医学への帰依
 「新規入院者で、相応の内的葛藤を経て光明を見出し自己を精神医学的に見ることができるようになる者」(ゴッフマン 1984: 66)
 患者を管理する側に回る
 「慢性患者で看護士の態度や衣服を身につけて看護士を助けて他の患者たちの管理をする者たち」(ゴッフマン 1984: 66)


調査結果の公表
 上記のような精神病院に関するゴッフマンの分析や概念化は、彼自身の怒りや皮肉が根底にある
 「セント・エリザベス病院の一年は彼に衝撃を与えたのだ。これはほとんど確かだ。ゴッフマンの感情は冷たい怒りという形で現れ、それはしばしばブラック・ユーモア、社会批判、それに社会学理論を混在させた概念化という性質を帯びている」(ヴァンカン 1999: 121)
 1956年10月に開かれた「集団過程」に関する会議で、ゴッフマンは聖エリザベス病院でのフィールドワークの報告をするが、挑発的な言葉づかいと内容だったため物議を醸す(ヴァンカン 1999: 121-3)
 ゴッフマンが、1950年代アメリカの精神病院が人間を消化する巨大な消化器になっているという比喩のもと、患者をそうしたシステムによって排出される排泄物にたとえたことに対して、マーガレット・ミードが言葉の撤回を求めた(ヴァンカン 1999: 122-3)
 「彼は、患者の病院収容過程の恣意性と精神病院の柔らかな暴力性を告発せずにはいられなかったのである」(ヴァンカン 1999: 123)
 ゴッフマンの妻が躁鬱病で精神医学の助けを必要としていたが、ゴッフマンが見た精神病院の現状は、とても妻を入院させられる状態ではなかった(ヴァンカン 1999: 123)
 『アサイラム』は、精神病患者が生活する場所が「病院から地域社会へ」と変わる一助となる
 「ゴフマンの研究や前述の一連の精神病院の研究は、入院の及ぼす弊害、特に施設症を明らかにし、それは一方では精神病院の改革をもたらし、他方では地域医療へと発展した」(藤澤 1989: 93)
 「『アサイラム』1年後にケン・キージーの『郭公の巣の下で』に引き継がれ、1967年にカリフォルニア州の上院を動かし精神病院のシステムを徹底的に改革させるに至り、その動向は徐々にアメリカ全土に及んでいる。醒めた共感の力である」(ヴァンカン 1999: 128-9)
 ケン・キージーの小説『カッコーの巣の上で』1962年
 映画『カッコーの巣の上で』1975年
 アカデミー賞主要5部門を受賞(作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚色賞)



原典
 E・ゴッフマン, 1984, 『アサイラム──施設被収容者の日常世界』誠信書房.


参考文献
 ヴァンカン, 1999, 「ゴッフマン社会学の誕生」『アーヴィング・ゴッフマン』(石黒毅訳)せりか書房, 116-134.
 藤澤三佳, 1988, 「ゴフマンにおける儀礼侵犯の問題──『アサイラム』と日常世界内の個人の「汚染」」『ソシオロジ』 33(1): 77-94.
 丸木泰史, 2000, 「精神科デイケアセンターとインスティテューショナリズム──E.ゴッフマン『アサイラム』再考」『大阪医科大学紀要人文研究』 31: 51-73.




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