伊丹十三『「大病人」日記』

国立病院機構富山病院付属看護学校の授業で取り上げている映画『大病人』ですが、『「大病人」日記』という本を入手しました。10年以上、この映画について授業でしゃべっているのですが、恥ずかしながら、初めてこの本の存在を知りました。絶版になっていましたが、アマゾンの古書サービスで入手できました。便利な世の中になったものです。

本の内容は、『大病人』の脚本がどのように作られていったかについて、伊丹十三監督の日記を元に再現したものです。日記の記述について出版元である文藝春秋の編集者が伊丹監督に質問するという対話形式でまとめられています。
また、後半には『大病人』の脚本がそのまま収録されています。

あたり前のことかもしれませんが、脚本を完成させるためには、並々ならぬ情熱と労力を注いで、何度も試行錯誤を繰り返すことが必要だということです。

脚本を3ヶ月で完成させる予定ならば、最初の2ヶ月は、ストーリーの構成を考えることに集中し、具体的なシーンはその後の1ヶ月で書くそうです。それは、いきなりシーンを書き始めると、途中で変更しなければならなくなった場合、一から書き直さなければならなくなるためということでした。そして、いったん完成した脚本の初稿は、何度も何度も見直していくそうです。


『大病人』の脚本は、「バディ・フィルム」というタイプにあたるそうです。バディ(buddy)とは、「仲間、親友、友達、相棒」くらいの意味です。

「これ(引用者注:バディ・フィルム)はアメリカ映画の最も得意とするジャンルで、要するに男二人が主人公の映画ですね。性格も境遇も対照的な二人の男が、何らかの理由で共通の目的に向かって一緒に行動せざるをえない羽目になり、互いに憎みあい、嫌いあいながら、やむをえず協力するうち、次第に相手に対する理解が深まり、また自分の本当の姿も見えてくる。最終的には二人はこの体験を通じて大きく成長し、お互い相手に対して深い尊敬と愛情を抱くようになる。」(伊丹 1993: 5)

つまり、この映画におけるバディは、患者の向井と医者の緒方ですね。『大病人」は、向井の死を前にした二人の成長と友情の物語になっているわけです。そう言われてみれば、まったくその通りだと思いました。


さて、脚本執筆は論文執筆と似ていると感じ、そういう面でも参考になりました。私は筆が遅いほうなので、次の伊丹監督の言葉は、「伊丹監督でもそうなんだ」と勇気づけられました。

映画の脚本を書く時の心の葛藤に関する伊丹監督の発言
「ひどくてもともかく書くことが必要なんだね。われわれ凡才は、創造力と批判力とくらべたら、批判力のほうが強くて楽だし、創造力のほうが弱くて苦しいに決まってるんだから、悩んでたら批判力が勝って永遠に書けないに決まってる。だから、ひどくてもなんでも、書く時には批判力を引っこめて書くだけ書く。」(伊丹 1993: 69)

「最初の『映画のひらめき』を脚本を書く過程で変えるか」という編集者の問いに対する伊丹監督の回答
「変わりません──というより、変えませんね。始め面白いと閃いたのは、自分の五十数年の人生賭けて面白いと閃いたんだから、これは信じてしまう。始めにこの企画が面白いと閃いたその面白さなんていうのは、実際に脚本を作る作業を開始したらアッという間に麻痺してしまって、どこが面白いのかわからなくなります。その時に自分が面白いと思った以上、面白いはずだ、と信じるしかない。」(伊丹 1993: 56)

私も、「すごいアイデアをひらめいた」と思って論文を書き始めても、執筆途中で「これって、あたり前のことなんじゃないか」と自問自答しはじめて、中断するということがよくありました。自分自身が「面白い」と思っているうちに、初稿を書き上げてしまうが大事だなあと再認識しました。そして、初稿を書き上げてから、批判力を駆使して修正を繰り返すほうが生産的ですね。

「ものを書く」という意味でも興味深い一冊でした。



伊丹十三, 1993, 『「大病人」日記』文藝春秋.


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