リンドとリンド『ミドゥルタウン』(地域社会研究)──社会学総論2012年5月18日

5月18日の社会学総論では、地域社会研究の代表例ということで、リンドとリンドの『ミドゥルタウン』(1929年)を取り上げました。この調査の特徴を一言で述べるならば、人口3万6000人ほどの小都市マンシーを対象に、アメリカの平均的な一小都市の生活を織りなしている諸動向を同時的に相互連関させながら、生産に立脚した古き良き小都市コミュニティが消費文化の流入によって変化していくようすをとらえた調査となるでしょう。1年半にわたるフィールドワークからえられた記述はたいへん具体的で、読者をあきさせません。出版初年だけでも6回も増刷し、出版後8年間で3万2000部売れたというのも納得です。


講義ノートはこちら(MS Word, 36Kb)
https://1drv.ms/w/s!Au4k6YKQM1eZgY5ekZp1sknWePuzkw

昨年度の講義ノートはこちら
http://r-takayama.at.webry.info/201107/article_2.html


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講義ノートテキスト版
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20120518社会学総論(リンドとリンド『ミドゥルタウン』)

リンドとリンド『ミドゥルタウン』1929年
──地域社会研究
地域社会研究
 「コミュニティ研究」「コミュニティ・スタディ」とも呼ばれる
 独自性をもつ比較的小さな地域社会(コミュニティ)について、分析するというよりも、社会現象の相互連関性を意識しながらその全体を包括的に理解しようとする研究
 分析:社会のある一側面に着目し、仮説検証的な方法をもちいてデータをあつかう
 人類学的パースペクティブを現代産業社会に適用


調査企画──調査の動機と社会的意義
調査のねらい
 アメリカの平均的な一小都市の生活を織りなしている諸動向を同時的に相互連関させながら、生産に立脚した古き良き小都市コミュニティが消費文化の流入によって変化していくようすをとらえる
 著者たちが述べる研究目的
 「アメリカのこの特定地域社会の現代生活を、過去三五年間その内部で観察しえた行動の変動傾向に照らし、動態的かつ機能的に研究した結果を提示する」(リンドとリンド 1990: 13)
 消費文化の光と陰
 1920年代アメリカは消費文化が花開いた時代

調査地
 アメリカの平均的な都市ということで、「ミドゥルタウン」という仮称になっている。
 実際には、インディアナ州マンシー
 『ミドゥルタウン』の調査がおこなわれた1920年代中頃には人口3万6000人
 滑川市3万3886人、小矢部市3万2203人(平成23年3月31日)

著者について
 ロバート・S・リンド
 1892年に、調査地と同じインディアナ州で生まれる。1970年没。
 プリンストン大学で文学士の学士号。しかし、アイビー・リーグの学生文化になじめず
 大学卒業後、出版や広告の仕事に関わるが、第一次世界大戦に出征。
 大戦から帰還後の1920年、マンハッタンの神学校に入学する
 神学校卒業後、ワイオミングの石油基地で伝導に従事する。そのかたわら、現地の人びとの生活状況についてレポートを発表
 そのレポートがきっかけで、『ミドゥルタウン』の調査主任に抜擢される。
 『ミドゥルタウン』の大成功後、ギディングスの後任としてコロンビア大学で社会学の教授となる。理論よりも調査に優れた研究者として招聘される。
 「マッキーヴァーは、アメリカ社会学の分野で過去一〇年間のうちで、おそらくもっとも注目すべき本の著者であり、シカゴ大学が優位にあるコミュニティの経験的方法による研究を、コロンビア大学で推進するであろう人物として、リンドを教授陣に推薦している。」(園部 2008: 17-8)
 ヘレン・M・リンド
 1896年にイリノイ州に生まれる。1982年没。
 大学で宗教や哲学を学び、コロンビア大学大学院で歴史を学ぶ。
 夫ロバートとは、夏季休暇中の山小屋で出会う(園部 2008: 12)。1921年に結婚した後、『ミドゥルタウン』の調査にともに従事する。
 『ミドゥルタウン』以後は、Sara Lawrence Collegeで教鞭を執る


調査設計──調査の段取り
調査地──アメリカの平均的な都市(ミドゥルタウン)を選ぶ
 可能な限り現代アメリカ生活を代表し、小規模で同質的な普通のWASP(White Anglo-Saxon Puritan)の町を選定する(菅 2008: 83)
 調査地選定における主要な考慮
 条件1
 「(1)その都市は可能な限り現代アメリカ生活を代表していなければならない」(リンドとリンド 1990: 14)
 条件2
 「(2)同時にそれは、全体状況的研究において十分扱いうるほどに小規模であり同質的でなければならない」(リンドとリンド 1990: 14-5)
 シカゴ学派が調査地としたシカゴ(異質で流動的な大規模人口)とは好対照な調査地
 条件1について、さらに調査地として望ましい特性(リンドとリンド 1990: 15)
 (1)温和な気候
 (2)相当に成長率が高く、現代の社会変動に伴って発生する苦難が各種にわたって十分出現していること
 (3)近代的高速機械生産を伴った工業文化
 (4)一つの工場によって市の産業が支配されていないこと
 (5)固有な地方芸術的生活。
 (6)調査地を、アメリカの中間的種類の地域社会から区別させるような、特に顕著な特異性とか緊急な地方問題の存在しないこと
 (7)できれば、アメリカの共通分母といわれている中西部に存在すること
 条件2について、1920年の国勢調査にもとづき、人口2万5000人から5万人規模の143都市を抽出(リンドとリンド 1990: 15)
 (1)この規模の都市では手に負えなくなった問題を抱え、しかも統一体として多くの側面から研究することが可能な小都市
 (2)可能な限りの自足性をもった都市。×衛星都市
 (3)黒人および外国生まれの人口が少ない
 民族による変動を除いて、文化による変動を集中的に扱うための条件
 以上の条件に合うものとして、インディアナ州「マンシー」(Muncie)という小都市が選ばれる。しかし、研究成果の公表では「ミドゥルタウン」という仮名が使われる。

調査地マンシーの歴史
 1820年代に町の歴史が始まる
 1880年代に、天然ガス開発をきっかけに工業化し、人口が急増(1890年代初頭で2万人)。マンシーの転換期。
 天然ガスは枯渇するが、1920年代中頃には人口3万6000人になっていた。


データ収集──多様な方法を折衷的にもちいる
 リンドとリンドは、『ミドゥルタウン』の「補遺 調査法にかんする覚書」で、自分たちの調査方法について説明している
 『ミドゥルタウン』以前は、調査方法を明示する習慣がなかった。その点で、『ミドゥルタウン』は画期的である。
 調査時期:1924年1月から1925年6月までの1年半
 リンドがもちいた調査方法
 (1)地域生活への参与
 「調査スタッフは各人がアパートか一般家庭の部屋を借りてそこで暮らし、あらゆる可能な方法で当市の人々と同じ生活を営み、ミドゥルタウンの他のどの住民もそうしたと思われるように、友人をつくり、地域での結び付きに加わり責任を引き受けた」(リンドとリンド 1990: 251)
 (2)文献資料の検討
 「センサスのデータ、市と郡の記録、法廷書類、学校の記録、州の隔年報告書と年鑑類などは入手できるばあいは必ず利用した」(リンドとリンド 1990: 251)
 「二種類の代表的日刊紙については、一八九〇年分と一八九一年分の初めから終わりまでが細部に亙って読み通された」(リンドとリンド 1990: 251)
 「各種団体の議事録は、本研究が扱った期間の初期のものと現在のものの両方を読み、さらにその途中の時期の議事録も大抵は目を通した」(リンドとリンド 1990: 252)
 有数の商人であり、著名なプロテスタントの教会員であった人と若いカトリック教徒のパン屋が書いた日記の一八八六年分から一九〇〇年分までが読まれたが、この二人の日記は異例なほどこと細かに記されていた」(リンドとリンド 1990: 252)
 (3)統計の収集整理
 「賃金、雇用安定度、産業災害、住居の工場への近接度、昇任、クラブ加入者、教会員、教会への寄付、教会行事への参会者、図書と定期刊行誌の普及程度、映画館の観客、自動車の所有と利用など」(リンドとリンド 1990: 252)
 (4)面接(インタビュー)──インフォーマルなものからフォーマルなものまで
 「たまたま知りあった人達とのまったくの偶然の会話から、市の生活の特定局面にかんする情報の提供に特に適した個々の人々に対する入念に計画された面接に至るまでの、ありとあらゆる範囲に亙っていた」(リンドとリンド 1990: 252-3)
 「調査が進行するにつれて、地域社会の行動の内に認められた傾向にかんする一定の仮説を個々の家族について検証してみることが望ましいと思われてきた。したがって、観察された諸特徴に照らして他計式調査票が作成され、明らかに労務階層に属する一二四家族と確かに業務階層に入っている四〇家族という二つのグループに対して面接調査が実施された」(リンドとリンド 1990: 253)
 (5)自記式調査票
 「本研究のいくつかの点では、面接法調査の延長として自計式調査票が用いられた。一九二四年の春時点で市内に所在地のあった四〇〇以上のクラブには、クラブの構成員と活動にかんする自計四季調査票が送付された。高校の英語のクラスを受講していた一〇年生、一一年生、一二年生全員には、高校在学者の生活を取り上げている自計式調査票が配布された」(リンドとリンド 1990: 256)


データの分析──比較の枠組みと機能的アプローチ
データを整理・比較する枠組み
 社会階層──業務階層と労務階層
 労務階層(working class)
 「主として物的道具を用いる実務的な現場労働にたずさわる階層」=工場労働者
 業務階層(business class)
 「その活動を人間に関わらせて物・サービス・アイディアの販売・増進にあたる階層」=サービス労働者
 歴史的な比較──1890年と1925年
 調査時点の1925年と、それより35年前の1890年の状況を比較して、その間の変化を明らかにする
 1890年を選んだ理由
 利用可能な資料がこの時期から増えること
 1880年代半ばに天然ガスが発掘され、工業都市に転換し始めたこと
 人びとの生活を6つの局面に分類
 人類学的な見地(W. H. Rivers)から「どんな社会であっても以下の6つの局面に分けられる」と仮定し、データの収集と分析の際の大枠として利用する。
 この6局面がそのまま『ミドゥルタウン』の章になっている
 生活費獲得
 家庭づくり
 青少年の訓育
 余暇利用
 宗教的慣行への参加
 地域活動への参加
 まとめ──データを整理・比較する枠組み
生活費獲得 家庭づくり 青少年の訓育 余暇利用 宗教的慣行への参加 地域活動への参加
労務階層 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925
業務階層 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925 1890 1925

機能的アプローチ
 全体社会の存続との関係において、それぞれの部分が果たしている「機能」を解明する
 上記の6局面が社会の存続にとって不可欠のものだと、暗に仮定している。
 上記の6局面の調和が取れていれば、ミドゥルタウン全体の存続も問題ないが、調和が取れなくなると、「社会問題」が生じる。
 自分たちが観察した諸制度を上記の6局面に位置づけることで、「客観性」を担保できると考える
 「当市の生活制度を、このように区分できる諸条件の下で人間行動が取るようになった形態に他ならないと見なすことで、研究は非個人的水準に引き上げられたと考える」(リンドとリンド 1990: 11)


調査結果の公表
 ミドゥルタウンの詳細な記述に対して、結論はとても簡潔に終わっている。翻訳で、わずか8頁ほど。
 『ミドゥルタウン』の本全体が、いわば結論のようなもの
 著者たちの結論要旨(リンドとリンド 1990: 242-9)
 安易な一般化はできない
 「たしかに一般化からはほど遠く、ミドゥルタウンの生活を構成する制度的所収間は相互に絡み合い、しばしば矛盾し合っていて、迷路のようになっていた。(中略)わずかに得られたのはこの小規模な現代地域社会が整合性を欠いており、社会科学の直面する任務が広大で複雑であるということにかんする結論だけであった」(リンドとリンド 1990: 242-3)
 社会変動は一様ではなく、それぞれの部分が別個の速度と方向で進んでいる
 速度:速い > 遅い
 生活費獲得 > 余暇時間 > 青少年の学校教育> 地域社会活動 > 家庭管理 > 宗教活動
 「ミドゥルタウンは物質的な事柄にたいしては新しい行動様式を急速に学び、これと比較して対人的問題と非物質的制度にかかわる新しい習慣の習得が遅れている」(リンドとリンド 1990: 245)
 世俗化には、感情的な軋轢がともなう
 方向:一口で「進歩」と言っても、言う人によって意味が異なる
 社会問題の多くは、以上のような社会制度間の乱調に還元できるので、制度的習慣の生成と変化、および、それらの人びとの習得について知識を深める必要がある。
 訳者による『ミドゥルタウン』結論要旨(中村 1990: 377)
 ミドゥルタウンに現れた変化は、「機械生産」と結びつけて理解される
 機械生産 → 工場労働者の熟練が不要 → 若者は厳しい技能訓練を厭い、転職を繰り返すのと同時に、技能習得による出世の機会を失う
 機械生産 → 多様な商品が大量に市場に流れ込む → 刺激的な広告による消費者の欲望喚起、販売員の厳しいノルマ、クレジット・割賦販売、映画や低俗雑誌による余暇の消費
 こうした変化がミドゥルタウンの住民たちに、新たな喜びとともに苦痛ももたらしている
 『ミドゥルタウン』は一般の人にも広く読まれた
 『ミドゥルタウン』の出版は大反響を呼び、初年だけでも6回も増刷をしている。
 1929年の出版後8年間で、1冊5ドルで32000部売れた(園部 2008: 17)
 消費文化が花開いたアメリカ1920年代の世相を活写したF.L.アレン『オンリー・イエスタデイ──1920年代・アメリカ』は、『ミドゥルタウン』の記述をしばしば引用している
 多くの人びとは、『ミドゥルタウン』の記述に、機械文明の荒波にもまれながら、コミュニティ・スピリットを懸命に保持する開拓者精神の残滓を見た
 「このようなノスタルジアは、社会進歩への礼賛と並立する形で、生産に立脚した古き良き小都市コミュニティへの憧憬としてアメリカ人の精神の支柱を形成している」(菅 2008: 83)


原典
 R.S.リンドとH.M.リンド, 1990, 『ミドゥルタウン』(中村八朗訳)青木書店(現代社会学大系第9巻).(注:『ミドゥルタウン』の部分訳と『変貌期のミドゥルタウン』の一部)

参考文献
 R.S.リンドとH.M.リンド, 1990, 「補遺 調査法にかんする覚書」『ミドゥルタウン』(中村八朗訳)青木書店(現代社会学大系第9巻), 249-58.
 中村八朗, 1990, 「訳者解説」R.S.リンドとH.M.リンド『ミドゥルタウン』(中村八朗訳)青木書店(現代社会学大系第9巻), 370-9.
 中村八朗, 1990, 「『ミドゥルタウン』研究ノート──訳者解説の追録として」『年報筑波社会学』 2: 124-141.
 中村八朗, 1998,「リンド夫妻『ミドゥルタウン』」『社会学文献事典』弘文堂, 56-57.
 菅康弘, 2008, 「地方都市の肖像──リンド/リンド『ミドゥルタウン』」『都市的世界 (社会学ベーシックス 4)』
 後藤隆, 1994, 「ロバート・リンドのミドルタウン調査」石川淳志・橋本和孝・浜谷正晴『社会調査──歴史と視点』ミネルヴァ書房, 70-95.
 G・イーストホープ, 1982, 「第3章 踏査法」『社会調査方法史』慶應義塾大学出版会, 86-92.
 Madge, John, 1962, "5 Life in a Small Town," The Origins of Scientific Sociology, New York: Free Press, 126-161.
 園部雅久, 2008, 『ロバート・リンド──アメリカ文化の内省的批判者』東信堂.







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