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zoom RSS ブース『ロンドン民衆の生活と労働』(社会踏査)──社会学総論2012年4月27日

<<   作成日時 : 2012/04/27 22:28   >>

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4月27日の社会学総論では、社会踏査の代表例ということで、ブース『ロンドン民衆の生活と労働』(1902-3年)を取り上げました。17年間にわたる長丁場の調査です。ブースは自らが集めたデータをもとに、ロンドン市民を八つの階級に分け、貧困線を設定し、貧困者の割合を算出しました。その数は、当初の予想を超える30%あまりでした。さらに、貧困者の割合にもとづいて色分けした貧困地図を作成します。これらは「貧困問題の可視化」(見える化)と言えるでしょう。ブースはそれを私費を投じておこないました。


講義ノートはこちら(MS Word, 37Kb)
https://1drv.ms/w/s!Au4k6YKQM1eZgY5cIoww8Dq2iIjvIQ

昨年度の講義ノートはこちら
http://r-takayama.at.webry.info/201106/article_14.html


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講義ノートテキスト版
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20120427社会学総論(ブース)

ブース『ロンドン民衆の生活と労働』1902-3年
──社会踏査の代表例

社会踏査(social survey)
 社会踏査:問題解決という実践的な目的のもと、特定の地域の状況について包括的に探究する調査法
 ブース『ロンドン民衆の生活と労働』は、社会踏査の代表例
 その他の社会踏査の例に、ピッツバーグ調査(アメリカ、1909-14年)など


調査者のブースについて(阿部 1994: 3-4)
 Charles Booth、1840年-1916年
 大実業家
 1866年、2隻の蒸気船を建造し、「ブース汽船会社」を設立
 1883年には、資産5万ポンド
 改革者としての側面
 1865年、字の読めない無学なアイルランド系移民の住むスラム街を戸別訪問し、無知・貧困・不潔の現実を目の当たりにしてショックを受ける
 普通教育の普及を唱える「バーミンガム教育連盟」の一員になる


調査企画(阿部 1994: 5-7)──調査の動機と社会的意義
 1880年代前半の大不況
 貧困問題をめぐる左右両派の論争
 慈善組織協会:「個人的責任論」
 個人主義を基調として貧困の原因をもっぱら個人の能力や徳性によるものとし、自助の原理を強調する
 社会民主連盟:「社会的責任論」
 社会主義的な立場から貧困の原因を社会構造上の問題に求める
 1885年に「労働者階級の4分の1以上の人びとが人間として健康を維持するのに不適切な生活を送っている」という調査結果を発表
 ブースが自ら調査をしようと思った動機
 「事実が明らかにされねばその合理的な解決策も提示しえない」(阿部 1994: 5)
 大実業家である「自己の経営観の正当性を実証するために調査を実施することを意図した」(阿部 1994: 5)
 社会民主連盟の調査結果に反発
 ブースの考え:資本主義という歴史上もっとも生産的な制度のもと、事業家として社会の生産性を発展させることは、生産物のコストを低下させ、結果として労働者(民衆)の生活水準の向上に資するはず。「ロンドン市民の4分の1が貧困にあえいでいる」という社会民主連盟の調査結果は、あまりにも多すぎる。自分で確かめるほかない。
 「大事業家ブースにとっては、自分が「産業の指揮官」として自分の事業に貢献していることは、結果として「民衆」の生活水準の向上をもたらしていると確認していたのである。彼のこのような思想(経営観)は、自己の内部において「産業の指揮官」と「民衆の生活水準の向上」が乖離することなく統一されていなければ根底から覆るものである。「社会民主連盟」の調査結果は、この統一性に対する大いなる挑戦であったのである。彼は、これを事実をもって否定し、自己の思想体系の正当性を実証するために、「貧困調査」を実施したのである」(阿部 1994: 6)


調査設計──調査の段取り
ロンドン調査(1886-1902年)の概要(阿部 1994: 6-7)
 17年にわたるとても長期間にわたる調査
 1886年から1902年の17年間
 ブースの私費による巨額の調査費用
 ブースは3万3000ポンドという巨額の私費を投じた
 1972年のお金に換算すると、25万ポンド(イーストホープ 1982: 57)
 理想的な共同研究
 約20名にのぼる有能な調査スタッフ
 静態的な方法
 ロンドン民衆の労働と生活について、現状を一枚の写真のような見取り図として提示
 ブースの「ロンドン調査」は、三つの調査からなる
 貧困調査:1886-91年
 センサスのデータと自ら収集したデータを組み合わせてロンドン市民を8つの階級に分類し、各階級がロンドン市民に占める割合を算出した。そうすることで、貧困線以下の生活を送っている貧困層の数量的把握が実証的に達成された。さらに、地区ごとの各階級の構成割合に応じて色分けした貧困地図を作成した。
 産業調査:1891-97年
 各々の職業における労働力構成・雇用条件・衛生状態・組合活動等を明らかにする。さらに、「貧困」と「密住」の相関関係が明らかになった。(阿部 1994: 18)
 宗教的影響力調査:1897-1902年
 人口の増減傾向・密度・性別並びに年齢別構成・世帯の構成・世帯主の出生地および職業上の地位等が調査される。これらにもとづいて、各地区の一般的特質が整理される。その上で、これらとの関連で民衆の宗教活動への反応が調査される。生活状態の改善に宗教活動が効果を発揮しているのは、中産階級以上に限られていた。(阿部 1994: 20)

貧困調査の方法論──地域調査を中心に(阿部 1994: 7-8)
 貧困調査の調査地区(調査順)
 タワー・ハムレッツ学区
 東ロンドンおよびハックニー地区
 中央部・北ロンドン・西ロンドン・南ロンドン
 ロンドン全体
 貧困調査は、「地域調査」と「職業調査」の2系列の調査からなる
 「職業調査」は、東ロンドン調査でのみ実施されたにすぎない
 より完全な全ロンドンの「職業調査」は、「地域調査」における調査方法の変更と軌を一にして後続する「産業調査」において実施される
 「つまり、「貧困調査」は、二系列の調査のうち基本的には「地域調査」の完成された姿であった」(阿部 1994: 12)
 したがって、以下では、貧困調査の「地域調査」を中心的に紹介する


貧困調査のデータ収集──センサスと間接的面接(阿部 1994: 10-2)
 一種の標本調査
 母集団に関する情報:センサス
 標本についての実査データ:間接的面接によってブース自ら収集
 2種類のデータ
 センサスのデータ
 政府による公式統計。イギリスのセンサスは1801年に開始。
 調査項目:名前、性別、年齢、階級(rank)、職業、婚姻状態、続柄、出生地(安藤 2004: 1330)
 収入や生活状況などは、センサスのデータではわからない
 ブースらが自ら収集したデータ
 「学齢児童がいる家庭」という条件で抽出された標本
 この標本について、「間接的面接の方法」(ベアトリス・ウェブが命名)をもちいて、収入や生活状況などに関する詳細な情報を集める
 「間接的面接の方法」──ブースのデータ収集法
 ブースの調査スタッフは「学校委員会の家庭訪問員」(School Board visitors)に面接し、調査対象となっている家族の情報を得た。
 学校委員会の家庭訪問員:巡視官。学齢児童のいる家族と定期的な関係をもち、それらの家族の生活状態およびその地域の事情に精通していた。
 日本の「民生・児童委員」に近い?
 学校委員会の訪問員の役割に関するブースの記述
 「[彼らは]互いに担当を決めて1戸1戸の家を訪問する。彼らの台帳にはすべての街区(Street)について全世帯がもれなく登録されているが、学齢期にある子供のいる家庭については、その全員に関する詳細なデータが記載されている。彼らは、子供達が学齢に達する2年ないし3年前からあからじめ決められている活動を開始し、また、学校を卒業した子供達の記録も自分達の台帳に残しておく。そこには世帯主の職業も記入されている。大多数の家庭訪問員は、数年間同一地区で仕事をしてきているので、その地区の住民の事情には幅広く通じている。担当の学区を年1回ずつくりかえし訪問するのが彼らの任務であるが、その間に再度訪問して台帳に修正を施したり、また担当学区への新規転入者の事情についてもできるだけ精通しておくことも同様に彼らの務めである。彼らは、毎日住民に接しているので、学齢期の子供の両親について、そのなかでもとりわけ極貧者について、そして彼らの生活条件については非常に豊富な情報をもっているのである」(イーストホープ 1982: 60)
 学校委員会の家庭訪問員から得た基本的な情報は、慈善組織の調査員、貧民救済官、牧師、警察官などから得られた情報によって照合され訂正された
 この「間接的面接の方法」によって、少人数の調査員で大量の家族を調査できた。
 この方法で得られたデータは、学齢児童のいる家庭に限られる
 センサスの統計にもとづいて、ブース自らが集めたデータを一般化
 センサスによる母集団の情報をもちいて、間接的面接で得た標本の詳細なデータを「学齢児童のいない家庭」にも援用し一般化する
 「三つの仮定のもとに、センサスの統計に基づいて、実際に調査した学齢児童をもつ家庭の世帯主と同様な比率で残余のその他の成人男子を分類し(女子世帯主の場合も同様)、同様に実際調査した学齢児童数に比例して残余の子供・若者・老齢者等を加え、全人口を先の八つの階級に分類することによって、センサスの統計と結びつけた」(阿部 1994: 11)


貧困調査のデータ分析
「社会的分類」(social classification)──東ロンドン調査の例(阿部 1994: 7-9)
 「世帯主の資力と地位による階級区分」と「世帯主の雇用の性格による階層区分」の二つを組み合わせて、東ロンドン市民をA〜Hの八つの階級に分類
 A──臨時日雇労働者・浮浪者および準犯罪人(最下層)
 B──臨時的稼得者(極貧者)
 C──不規則的稼得者(貧困者)
 D──規則的少額稼得者(貧困者)
 E──規則的標準稼得者(貧困線以上)
 F──高額稼得者
 G──中産階級の下
 H──中産階級の上
 東ロンドン調査以降は、上記の八つの分類を五つに集約
 最下層(上記A)──0.9%
 極貧者(上記B)──7.5%
 貧困者(上記CとD)──22.3%
 労働者階級(上記EとF)──51.5%
 中産階級(上記GとH)──17.8%
 ロンドンの全人口の最大部分を占める「労働者階級」より下を「貧困」と位置づける
 貧困層は「32.1%」にものぼった。
 社会民主連盟が発表した「貧困者25%」よりも多かった!
 地区別の貧困率を算出し、各地区の比較もおこなっている。

「貧困線」の設定(阿部 1994: 15-6)
 ロンドン各地区の人口の最大部分は、階級Eが占めている
 階級Eは、「見苦しくない自立的生活」「人間としての普通の運命」を体現している
 階級Eの生活状況
 週22シリングから30シリング の標準的稼得があり、快適な住居をもち、自立的な生活を送っている
 階級EとDの間に「貧困線」(the line of poverty)を引くことができる
 階級Dの収入は、普通の家庭で週18シリングから21シリング
 ブースによる貧困の定義
 「さて、ブースによれば、貧民とは「標準的な大きさの家族で週当たり18シリングから21シリングというような、わずかではあるが十分規則的な収入のある人々……彼らの収入は十分であるかもしれないが、それはかろうじて十分であるにしかすぎない」と定義されている(Booth, 1887, p.339)」(イーストホープ 1982: 60)

「貧困地図」(Poverty Map) (阿部 1994: 14-5)
 街区ごとに7つの色彩に分類
 黒色──最下層(上記Aに一致)
 暗青色──極貧(上記Bに一致)
 明青色──標準的貧困(上記CとDに一致)
 深紅色──貧困の混合(CとDを中心に、EとFをともなう。多くの場合Bも包含)
 淡紅色──労働者階級愉楽(EとFを中心に、Gの下層部分を含む)
 赤色──中産階級的富裕(1〜2人の家事使用人をもつ)
 黄色──富裕(3人以上の家事使用人をもつ)
 「貧困地図」については、下記のLSE図書館のサイトを参照
 Charles Booth Online Archive (London School of Economics Library)
http://booth.lse.ac.uk/
 ブースが作成した1898-99年の貧困地図について、特定の地域を自由にズームイン・ズームアウトできる
 しかも、ブースの貧困地図が2000年のロンドンの地図に対応しながら表示される

貧困の原因分析(阿部 1994: 16-8)
 貧困の原因
 社会的な原因
 雇用の問題:「臨時的労働」「不規則労働・低賃金」「少額稼得」
 階級AとBでは、55%が該当
 階級CとDでは、68%が該当
 環境の問題:「病気または虚弱」「大家族」「不規則労働に結合される病気または大家族」
 階級AとBでは、27%が該当
 階級CとDでは、19%が該当
 個人的な原因
 習慣の問題:「飲酒(夫または夫婦共)」「酩酊または浪費家」
 階級AとBでは、14%が該当
 階級CとDでは、13%が該当
 総じて、「社会的な原因」の影響が強い


調査結果の公表──救貧法の拡大適用を提案
 「貧困調査」「産業調査」「宗教的影響力調査」をあわせた最終的な報告書が、1902年から1903年に、『ロンドン民衆の生活と労働』(全17巻)として出版される。
 救貧法 制度の拡大適用の提案(阿部 1994: 17)
 ブースは、「階級Bにおける競争が階級CとDの足を引っ張り、そして、階級CとDにおける競争が階級Eに重くのしかかっている」と、階級関係を一般化
 したがって、国家が介入して階級Bに対して効果的に対処すれば、階級Bが階級CとDの足を引っ張るという関係がなくなり、よって階級CとDがより多くの雇用と賃金を獲得することになり、階級CとDは自力で貧困から脱出できる
 そのためには、階級Bに救貧法を拡大適用することが必要


ブース「貧困調査」の評価(阿部 1994: 22-3)
 調査法の側面
 「ブースは、一定の時期における一定の地域内の全人口の状態の洞察を得るのに適した技術を苦心して作りあげた」(阿部 1994: 22)
 直接的・間接的観察(質的把握)とセンサス(量的把握)を結びつけることで、全調査対象に対して同質的な調査の実施が可能になった。
 「間接的面接の方法」の巧妙な活用によって、生活全般にわたる巨大な規模の質的調査をおこなうことができた
 貧困研究の側面
 貧困について、初めて社会的レベルにおいて科学的方法で実証した
 貧困の数量的・空間的把握に成功した
 貧困線という概念を初めて提示し、貧困研究の新たな地平を開拓した
 後続の研究への影響
 W・L・ウォーナーに代表される1930〜1940年代のアメリカ都市社会学的研究に影響をあたえた
 日本でも、横山源之助『日本の下層社会』(1899年)でも、ブースへの言及がある



原典
 Life and Labour of the People in London, 17 Vols., Macmillan, 1902-3

参考文献
 阿部實, 1994, 「チャールズ・ブースと「貧困調査」」石川淳志・橋本和孝・浜谷正晴『社会調査──歴史と視点』ミネルヴァ書房, 3-23.
 阿部實, 1990, 『チャールズ・ブース研究』中央法規出版.
 木下栄二, 2005, 「コラム チャールズ・ブースの残した足跡」大谷信介・木下栄二・後藤範章・小松洋・永野武『社会調査へのアプローチ──論理と方法 第2版』ミネルヴァ書房, 66-7.
 G・イーストホープ, 1982, 「第3章 踏査法」『社会調査方法史』慶應義塾大学出版会, 54-70.




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阿部 実

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