社会学総論20110729前半(ルイス『貧困の文化』)
7月29日の社会学総論(前半)は、参与観察法の実例ということで、ルイス『貧困の文化』(1959年)を紹介しました。調査の舞台は、1950年代のメキシコです。首都メキシコ市は、農村部から流入してくる人口の増加に産業の発展が追いつかず、フォーマルな仕事に就くことのできない貧困層が拡大していました。ルイスは、そうした貧しい人びとが、具体的にどのような生活を送っているのかを明らかにしようとしたのです。それは、第三世界と呼ばれる国々の大都市に暮らす貧困層の実態が、まだあまりよく知られていなかったからです。
ルイスが取った方法は、居住地と経済的水準の異なる「5つの家族」の「典型的な普通の1日」を、家族員一人一人の語りを尊重しながら詳述するというものでした。助手の速記者による観察記録をまとめたルイスの記述は、小説にも似たスタイルで、登場人物の息づかいまで伝わってくるほどです。家族員一人一人の語りをそのまま提示するその手法は、黒澤明監督の映画『羅生門』にちなんで、ルイス自らが「羅生門的手法」と名づけています。
このように、ルイスの研究は、家族員の声が織りなす各家族の典型的な一日を読み手が相互比較することで「貧困の文化」の内実を重層的に伝えるという仕組みになっています。
講義ノートはこちら(MS Word, 41Kb)
http://dl.dropbox.com/u/22647991/2011072901%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E8%AB%96%EF%BC%88%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%80%8E%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%80%8F%EF%BC%89.docx
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講義ノートテキスト版
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2011072901社会学総論(ルイス『貧困の文化』)
ルイス『貧困の文化』1959年──参与観察法①
参与観察
参与観察とは
定義:参与観察とは、調査者が、よく知らない社会(集団)に入りこみ、比較的長期にわたって、そのメンバーの一員として生活をともにしながら、そこで繰り広げられる人びとのやりとりや出来事を観察し記録・分析する調査法
「五感」(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を駆使する調査法
調査者の力量が問われる調査法
インタビューにも増して、ラポールの構築が重要
参与観察のたいへんさ
なじみのない環境で、長時間過ごさねばならない
親近感のわかない人とも、人間関係を維持せねばならない
日常のありふれた出来事にすぎなくても、大量に記録せねばならない
観察を記録したフィールド・ノーツの分析に、何ヶ月もかかる
調査中、調査後に、調査者がリスクを負うこともある
参与観察には、労力にみあう価値がある
得られるデータの質と量が豊か
発見が多く、それまでの常識的な理解(現実に対するイメージ)をくつがえせる可能性が高い
さまざまな出会いや感動がある
調査者自身が成長する
エスノグラフィ(ethnography)
質的調査、特に、参与観察による調査報告の一形態であり、ある集団の社会生活を、主観的次元も含めて、具体的かつ包括的に記述したもの
「民族誌」と訳されることもある
調査企画
当時のメキシコ市の状況
調査の主な舞台:メキシコ市
メキシコの首都、海抜2240メートルに位置する
人口1309万6686人(2000年)
メキシコ市の過剰都市化
農村部から流入する人口の増加に産業発展が追いつかない
「メキシコ市の成長は驚異的で、1940年の人口が150万人だったのが、1957年には400万人(!)となった」(ルイス 2003: 25)
「また何百万人という農民や村民たちが都市になだれ込んできた」(ルイス 2003: 25)
過剰都市化は、発展途上国のいちばん大きい都市で生じやすい
そのため、失業者が多く、膨大な貧困層が形成される
調査当時、人口約400万人のうち約150万人が貧困層(37.5%)
職業のインフォーマル部門の肥大化
サンチェス家
富くじを売る
豚・鶏を育てて売る
グティエレス家
月賦で購入したテレビを子どもたちに見せて代金を徴収する
持ち主のわからない自転車や廃品で組み立てた自転車を売る
玩具売り場で見つけたミニチュアの瓶をまねた瓶を売る
お菓子を仕入れて子どもたちに売り歩く
スラム(都市の中の衰退・荒廃地域)の拡大
「1940年以降ほとんど発展を示さなかった生活面の一つは住居である。事実、急速な人口増加と都市化のため、大都市の混んだスラムの状態は前よりも悪化している」(ルイス 2003: 30)
スクオッター(不法占拠)住宅、カンポン(不良住宅)
不平等の拡大
「国富は目覚ましい増加を示したが、分配が不平等なため、金持ちと貧乏人の格差が以前にもましていちじるしくなった。また、一般大衆の生活水準が多少構造したにも拘らず、1956年では、人々の60パーセント以上が衣食住に不足し、文盲率40パーセント、学校に通っていない子供たちは46パーセントもいた。1940年以降の慢性的インフレによって、貧乏人の実質収入が圧迫され、メキシコ市の労働者の生活費は1939年から5倍に上がった」(ルイス 2003: 28)
問題意識と調査の目的
第三世界とも呼ばれる発展途上国における貧困層の実態はまだわかっていない
そうした貧困層の人びとがもつ「貧困の文化」を明らかにする
著者について
Oscar Lewis(1914年から1970年)
アメリカのニューヨーク州で生まれ育つ。父親はポーランド系の移民。
ニューヨーク市立大学で歴史学を学んだ後、コロンビア大学に進学する。コロンビア大学でR.ベネディクトと出会い、人類学に転じる
1943年からメキシコのテポストラン(農村)で調査
1948年からイリノイ大学で教鞭をとり、同大学の人類学部設立に尽力
著作:『貧困の文化』(1959年)、『サンチェスの子供たち』(1961年)、『ラ・ビータ』(1966年)など
1970年に、56歳の若さで急死する(心臓発作)
調査設計
調査時期
マルティネス家を知ったのは1943年
その他の4家族を知ったのは1950年
「家族」に焦点を合わせる
家族は、文化と個人の間をつなぐ研究の戦略的位置に存在する
「全体的な家族研究は、一方の極に位置する文化ともう一方の極に位置する個人との概念的両端の間のギャップを埋める。私たちは、文化とパーソナリティの両者を、現実の生活のうちに相互に関連し合うものと見なすのである」(ルイス 2003: 20-1)
「家族」は、不可避に生まれてくる過剰都市化した環境から貧困層が自分たちを守る仕組みとして存在する
「ルイスが『貧困の文化』の中で取りあげる「家族」は血縁関係を基底に置いたものというよりも、生活の都合に応じて形成された生活体として捉えられているものだ」(石岡 2008: 211)
居住地と経済的水準の異なる「5つの家族」を取りあげる(石岡 2008: 211-3)
農村に暮らす「マルティネスの家族」
現金収入が必要。しかし、抑圧の象徴である農場では働きたくない。借金をするが、なかなか返済できない。
1910年のメキシコ革命に参加し、村の繁栄に努める。その一方で、「食いものもろくにないというのに、自由などあってもどうにもならない」と吐き捨てる。
農村から都市に移住した「ゴメスの家族」
ペシンダー(共同住宅)に暮らす。
夫はバスの運転手として会社に勤めるが、仕事が嫌でたまらない。月給の多くを自分で使ってしまう。
妻は、夫より起床が遅く、トルティーヤ(トウモロコシの練り粉を薄く丸く焼いたもの)も自分で作らない。
もっとも経済的に貧しい「グティエレスの家族」
ギュルモ商店という何でも屋を経営する。それまで、ありとあらゆる雑業をおこなってきた。
子どもを小学校に通わせるつもりはない
貧困のなかから脱出できるという望みをもっていない。「あたしは貧困の中で生まれたのだから、貧困のなかで死ぬんだわ」。
世帯主が3つの家族を扶養する「サンチェスの家族」
世帯主のヘススは、レストランで働く。
扶養している3つの家族をバスでめぐる
妻たちの間に嫉妬心が渦巻いている
成金として中流階級へ社会上昇した「カストロの家族」
セメント業を経営し、膨大な富を獲得する。
3人の女中がいて、妻は家事をしない
話し方は、貧困層の話し方のままである。
子どもたちは母親の言うことをまったく聞かない。
それぞれの家族の「典型的な普通の1日」を詳述する
家族生活は、一日という単位で組織化されている
家族生活を直接集中的に詳述するには、一日という単位が適している
一日という単位で、家族同士の生活を相互に比較できる
「一般的に一日が家族生活を秩序立てる。一日という単位は、直接的観察の方法による集中的・連続的な研究を可能にし、比較を行うのにも最も適している」(ルイス 2003: 22)
「観察と記録のために選択した日は、誕生、洗礼、祭り、葬式のような特別な日の代わりに、普通の日で、その点を除けば任意抽出によらず行われた」(ルイス 2003: 24)
データ収集
長時間をかけたラポールの構築
さまざまな生活の場面をともに過ごす
「彼らの家で彼らと共に何百時間を過し、食卓を共にし、祭りやダンス・パーティに加わり、彼らの生活史について共に討論した。彼らは気持ちよく時間をさいてくれた」(ルイス 2003: 23)
10年以上にわたるつきあい
「私がマルティネス家を知ったのは1943年からで、他の四家族を知ったのは1950年からである。私は、家族と共に仕事をするために何年もの間メキシコへ繰返し訪れた。それは彼らとの親密さと友情を成長させる上で最も重要な要因の一つだった」(ルイス 2003: 24)
家族の1日の観察は、訓練を受けた助手による「速記」で筆記された
速記をした助手はそれぞれの家族と面識があり、家族生活におよぼす影響は最小限に抑えられている
データ分析
「民族誌学的リアリズム」(ethnographic realism)(ルイス 2003: 23)
各家族の生活をできるだけ自然な状態のまま詳述する
「この種の調査のやり方(ケース・スタディー)により、各家族の一日中に起った動作、会話、やりとりのカメラ的画像が得られる」(ルイス 2003: 24)
「データを操作することは厳しく控えねばならなかったことを意味する。くり返しや意味のない出来事を除くために若干のデータは削った。しかし、記録されたデータの約90パーセントはここに収められている」(ルイス 2003: 24)
小説のような文体だが、登場人物やできごとは実在のものであり、社会科学の貢献が目指される
「そのそれぞれの一日の生活の研究は、小説家によって描写される──生活のなまの姿と全体の姿をいかほどか描いてみようとするものである。しかし多くの長短を持ちつつも、この研究の主眼とするものは、社会科学の貢献である。これらの家族の描写と小説とに類似する所があるとしても、それは、どれも全く偶然の一致である」(ルイス 2003: 22-3)
「ここで取上げた日々の描写は、作り上げたものではなく、現実に起った事実である。登場人物も創作したタイプではなく、実在の人物である」(ルイス 2003: 23)
羅生門的手法
「複数の語り手の語りを、語り内容の異同を整序化することなくそのまま提示する手法」(石岡 2008: 216)
「その方法論的利点は、家族生活における同一の事件を、個人個人の立場から独自に説明するという点にもあり、またそのことからデータの信憑性をチェックできる点にもある」(ルイス 2003: 21)
手法の名前は、黒澤明監督の映画『羅生門』(1950年)にちなむ
芥川龍之介の小説「藪の中」「羅生門」を映画化した時代劇。ある侍の死に立ち会った男女4人それぞれの視点から見た事件の内幕を生々しく再現する。1951年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞。
ストーリー:平安時代、羅生門の下で雨宿りをする下男相手に、旅法師と杣売りが奇妙な話を語り始める。京の都で悪名高き盗賊多襄丸が山中で侍夫婦の妻を襲い、夫を殺害したという。だが、検非違使による調査が始まると、盗賊と妻の証言はまったく異なっており……。
(「シネマトゥデイ」より、http://www.cinematoday.jp/movie/T0006984)
映画『羅生門』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=sBn4cvHKPUc&feature=related
フラッシュバック方式
「典型的な1日の記述の中に、過去を回顧的に語る自伝的語りを挿入する記述スタイル」(石岡 2008: 217)
対位法
「観察者による状況描写と語り手による自伝を織り交ぜて記述」(石岡 2008: 217)
調査結果の公表
地名と氏名は仮名を使う
貧困という社会的にマイナスな事例を扱うため、調査協力者たちが不利益を被らないようにする
「貧困の文化」という概念の提出(ルイス 1986: xix-xxii)
『貧困の文化』にはまとまった記述はないが、その続編にあたる『サンチェスの子供たち』の「序」で貧困の文化について議論している
一般的な特徴
貧困状態で生き抜くための防衛機制をもつ積極的なもの
根強く安定していて世代間で受け継がれていくもの
成員に社会心理学的な影響をあたえ、より大きな国民文化への参加のありかたに影響をあたえる
メキシコでは、下から3分の1の人びとが含まれる
人口の特徴
高い死亡率、低い平均余命、若い年齢集団の割合の高さ、子どもや女性の就労
社会的な特徴
教育や読み書きの水準が非常に低い、労働組合に属さない、政党の党員にならない、社会保険(医療・出産・年金)の恩恵を受けない、銀行・病院・デパート・博物館・美術館・空港などを利用しない
経済的な特徴
絶え間ない生存競争、失業や仕事不足、低賃金、雑多な単純労働、未成年労働、貯金の欠如、慢性的な現金不足、家庭における食物貯蔵の欠如(一日に何回も必要に応じて少量の食物を買う)、所持物の質入れ、地域の金貸しから高金利で借金、近所の人びとで組織される自然発生的な略式の信用貸借、古着や中古の家具の使用
家庭生活の特徴
密集した区域での生活、私生活の欠如、群居性、高率のアルコール依存、暴力によるもめごとの解決、子どもへの体罰、妻を殴る、早期の性体験、比較的高率の母子の遺棄、母中心家族への志向(母方の親類との親しさ)、核家族の優位、まれにしか達成されぬ家族的団結の強調
その他の特徴
現在志向(欲求充足を先延ばしして未来を計画する能力が比較的少ない)
困難な生活状況にもとづく諦観と宿命感
男性優位の考え方と、それに対する女性の殉教者意識
あらゆる種類の病的心理へのいちじるしい寛容
『貧困の文化』に対する賛否両論
高く評価する人もいる一方で、批判も多い
「貧困の文化」という概念が曖昧
貧困の文化が普遍的に存在するとは言えない
方法論的な批判:「分析がまったくなされていない」
『貧困の文化』の続編とも言える『サンチェスの子供たち』が1961年に刊行
1965年にスペイン語版の第2版が公刊された際、メキシコで大論争が起きる
メキシコの一部の知識人が「国辱的な書物」として裁判所に提訴。
しかし、他の知識人たちは「それが現実である」とルイスを擁護し、訴訟は却下される。
『サンチェスの子供たち』は、1978年に、ホール・バートレット監督によって映画化される
ルイスの打ち出した民族誌記述法は、日本の社会学的ライフヒストリー研究に継承されている(石岡 2008: 217)
原典
オスカー・ルイス, 2003, 『貧困の文化──メキシコの<五つの家族>』(高山智博・染谷臣道・宮本勝訳)筑摩書房(ちくま学芸文庫)
参考文献
石岡丈昇, 2008, 「貧困を生きる──O.ルイス『貧困の文化』」『都市的世界 (社会学ベーシックス 4)』世界思想社, 209-218.
内田八州成, 1989, 「ルイス『貧困の文化』」杉山光信『現代社会学の名著』中央公論社(中公新書), 131-148.
新睦人, 2008, 「都市貧困層家族の生活史と日本の親分-乾分関係──O.ルイスの「羅生門」式手法と岩井弘融の病理集団研究」新睦人・盛山和夫編『社会調査ゼミナール』有斐閣, 225-238.
ルイス, 1986, 「序」『サンチェスの子供たち[新装版]』(柴田稔彦・行方昭夫訳)みすず書房, vii-xxv.
ルイスが取った方法は、居住地と経済的水準の異なる「5つの家族」の「典型的な普通の1日」を、家族員一人一人の語りを尊重しながら詳述するというものでした。助手の速記者による観察記録をまとめたルイスの記述は、小説にも似たスタイルで、登場人物の息づかいまで伝わってくるほどです。家族員一人一人の語りをそのまま提示するその手法は、黒澤明監督の映画『羅生門』にちなんで、ルイス自らが「羅生門的手法」と名づけています。
このように、ルイスの研究は、家族員の声が織りなす各家族の典型的な一日を読み手が相互比較することで「貧困の文化」の内実を重層的に伝えるという仕組みになっています。
講義ノートはこちら(MS Word, 41Kb)
http://dl.dropbox.com/u/22647991/2011072901%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E8%AB%96%EF%BC%88%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%80%8E%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%80%8F%EF%BC%89.docx
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講義ノートテキスト版
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2011072901社会学総論(ルイス『貧困の文化』)
ルイス『貧困の文化』1959年──参与観察法①
参与観察
参与観察とは
定義:参与観察とは、調査者が、よく知らない社会(集団)に入りこみ、比較的長期にわたって、そのメンバーの一員として生活をともにしながら、そこで繰り広げられる人びとのやりとりや出来事を観察し記録・分析する調査法
「五感」(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を駆使する調査法
調査者の力量が問われる調査法
インタビューにも増して、ラポールの構築が重要
参与観察のたいへんさ
なじみのない環境で、長時間過ごさねばならない
親近感のわかない人とも、人間関係を維持せねばならない
日常のありふれた出来事にすぎなくても、大量に記録せねばならない
観察を記録したフィールド・ノーツの分析に、何ヶ月もかかる
調査中、調査後に、調査者がリスクを負うこともある
参与観察には、労力にみあう価値がある
得られるデータの質と量が豊か
発見が多く、それまでの常識的な理解(現実に対するイメージ)をくつがえせる可能性が高い
さまざまな出会いや感動がある
調査者自身が成長する
エスノグラフィ(ethnography)
質的調査、特に、参与観察による調査報告の一形態であり、ある集団の社会生活を、主観的次元も含めて、具体的かつ包括的に記述したもの
「民族誌」と訳されることもある
調査企画
当時のメキシコ市の状況
調査の主な舞台:メキシコ市
メキシコの首都、海抜2240メートルに位置する
人口1309万6686人(2000年)
メキシコ市の過剰都市化
農村部から流入する人口の増加に産業発展が追いつかない
「メキシコ市の成長は驚異的で、1940年の人口が150万人だったのが、1957年には400万人(!)となった」(ルイス 2003: 25)
「また何百万人という農民や村民たちが都市になだれ込んできた」(ルイス 2003: 25)
過剰都市化は、発展途上国のいちばん大きい都市で生じやすい
そのため、失業者が多く、膨大な貧困層が形成される
調査当時、人口約400万人のうち約150万人が貧困層(37.5%)
職業のインフォーマル部門の肥大化
サンチェス家
富くじを売る
豚・鶏を育てて売る
グティエレス家
月賦で購入したテレビを子どもたちに見せて代金を徴収する
持ち主のわからない自転車や廃品で組み立てた自転車を売る
玩具売り場で見つけたミニチュアの瓶をまねた瓶を売る
お菓子を仕入れて子どもたちに売り歩く
スラム(都市の中の衰退・荒廃地域)の拡大
「1940年以降ほとんど発展を示さなかった生活面の一つは住居である。事実、急速な人口増加と都市化のため、大都市の混んだスラムの状態は前よりも悪化している」(ルイス 2003: 30)
スクオッター(不法占拠)住宅、カンポン(不良住宅)
不平等の拡大
「国富は目覚ましい増加を示したが、分配が不平等なため、金持ちと貧乏人の格差が以前にもましていちじるしくなった。また、一般大衆の生活水準が多少構造したにも拘らず、1956年では、人々の60パーセント以上が衣食住に不足し、文盲率40パーセント、学校に通っていない子供たちは46パーセントもいた。1940年以降の慢性的インフレによって、貧乏人の実質収入が圧迫され、メキシコ市の労働者の生活費は1939年から5倍に上がった」(ルイス 2003: 28)
問題意識と調査の目的
第三世界とも呼ばれる発展途上国における貧困層の実態はまだわかっていない
そうした貧困層の人びとがもつ「貧困の文化」を明らかにする
著者について
Oscar Lewis(1914年から1970年)
アメリカのニューヨーク州で生まれ育つ。父親はポーランド系の移民。
ニューヨーク市立大学で歴史学を学んだ後、コロンビア大学に進学する。コロンビア大学でR.ベネディクトと出会い、人類学に転じる
1943年からメキシコのテポストラン(農村)で調査
1948年からイリノイ大学で教鞭をとり、同大学の人類学部設立に尽力
著作:『貧困の文化』(1959年)、『サンチェスの子供たち』(1961年)、『ラ・ビータ』(1966年)など
1970年に、56歳の若さで急死する(心臓発作)
調査設計
調査時期
マルティネス家を知ったのは1943年
その他の4家族を知ったのは1950年
「家族」に焦点を合わせる
家族は、文化と個人の間をつなぐ研究の戦略的位置に存在する
「全体的な家族研究は、一方の極に位置する文化ともう一方の極に位置する個人との概念的両端の間のギャップを埋める。私たちは、文化とパーソナリティの両者を、現実の生活のうちに相互に関連し合うものと見なすのである」(ルイス 2003: 20-1)
「家族」は、不可避に生まれてくる過剰都市化した環境から貧困層が自分たちを守る仕組みとして存在する
「ルイスが『貧困の文化』の中で取りあげる「家族」は血縁関係を基底に置いたものというよりも、生活の都合に応じて形成された生活体として捉えられているものだ」(石岡 2008: 211)
居住地と経済的水準の異なる「5つの家族」を取りあげる(石岡 2008: 211-3)
農村に暮らす「マルティネスの家族」
現金収入が必要。しかし、抑圧の象徴である農場では働きたくない。借金をするが、なかなか返済できない。
1910年のメキシコ革命に参加し、村の繁栄に努める。その一方で、「食いものもろくにないというのに、自由などあってもどうにもならない」と吐き捨てる。
農村から都市に移住した「ゴメスの家族」
ペシンダー(共同住宅)に暮らす。
夫はバスの運転手として会社に勤めるが、仕事が嫌でたまらない。月給の多くを自分で使ってしまう。
妻は、夫より起床が遅く、トルティーヤ(トウモロコシの練り粉を薄く丸く焼いたもの)も自分で作らない。
もっとも経済的に貧しい「グティエレスの家族」
ギュルモ商店という何でも屋を経営する。それまで、ありとあらゆる雑業をおこなってきた。
子どもを小学校に通わせるつもりはない
貧困のなかから脱出できるという望みをもっていない。「あたしは貧困の中で生まれたのだから、貧困のなかで死ぬんだわ」。
世帯主が3つの家族を扶養する「サンチェスの家族」
世帯主のヘススは、レストランで働く。
扶養している3つの家族をバスでめぐる
妻たちの間に嫉妬心が渦巻いている
成金として中流階級へ社会上昇した「カストロの家族」
セメント業を経営し、膨大な富を獲得する。
3人の女中がいて、妻は家事をしない
話し方は、貧困層の話し方のままである。
子どもたちは母親の言うことをまったく聞かない。
それぞれの家族の「典型的な普通の1日」を詳述する
家族生活は、一日という単位で組織化されている
家族生活を直接集中的に詳述するには、一日という単位が適している
一日という単位で、家族同士の生活を相互に比較できる
「一般的に一日が家族生活を秩序立てる。一日という単位は、直接的観察の方法による集中的・連続的な研究を可能にし、比較を行うのにも最も適している」(ルイス 2003: 22)
「観察と記録のために選択した日は、誕生、洗礼、祭り、葬式のような特別な日の代わりに、普通の日で、その点を除けば任意抽出によらず行われた」(ルイス 2003: 24)
データ収集
長時間をかけたラポールの構築
さまざまな生活の場面をともに過ごす
「彼らの家で彼らと共に何百時間を過し、食卓を共にし、祭りやダンス・パーティに加わり、彼らの生活史について共に討論した。彼らは気持ちよく時間をさいてくれた」(ルイス 2003: 23)
10年以上にわたるつきあい
「私がマルティネス家を知ったのは1943年からで、他の四家族を知ったのは1950年からである。私は、家族と共に仕事をするために何年もの間メキシコへ繰返し訪れた。それは彼らとの親密さと友情を成長させる上で最も重要な要因の一つだった」(ルイス 2003: 24)
家族の1日の観察は、訓練を受けた助手による「速記」で筆記された
速記をした助手はそれぞれの家族と面識があり、家族生活におよぼす影響は最小限に抑えられている
データ分析
「民族誌学的リアリズム」(ethnographic realism)(ルイス 2003: 23)
各家族の生活をできるだけ自然な状態のまま詳述する
「この種の調査のやり方(ケース・スタディー)により、各家族の一日中に起った動作、会話、やりとりのカメラ的画像が得られる」(ルイス 2003: 24)
「データを操作することは厳しく控えねばならなかったことを意味する。くり返しや意味のない出来事を除くために若干のデータは削った。しかし、記録されたデータの約90パーセントはここに収められている」(ルイス 2003: 24)
小説のような文体だが、登場人物やできごとは実在のものであり、社会科学の貢献が目指される
「そのそれぞれの一日の生活の研究は、小説家によって描写される──生活のなまの姿と全体の姿をいかほどか描いてみようとするものである。しかし多くの長短を持ちつつも、この研究の主眼とするものは、社会科学の貢献である。これらの家族の描写と小説とに類似する所があるとしても、それは、どれも全く偶然の一致である」(ルイス 2003: 22-3)
「ここで取上げた日々の描写は、作り上げたものではなく、現実に起った事実である。登場人物も創作したタイプではなく、実在の人物である」(ルイス 2003: 23)
羅生門的手法
「複数の語り手の語りを、語り内容の異同を整序化することなくそのまま提示する手法」(石岡 2008: 216)
「その方法論的利点は、家族生活における同一の事件を、個人個人の立場から独自に説明するという点にもあり、またそのことからデータの信憑性をチェックできる点にもある」(ルイス 2003: 21)
手法の名前は、黒澤明監督の映画『羅生門』(1950年)にちなむ
芥川龍之介の小説「藪の中」「羅生門」を映画化した時代劇。ある侍の死に立ち会った男女4人それぞれの視点から見た事件の内幕を生々しく再現する。1951年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞。
ストーリー:平安時代、羅生門の下で雨宿りをする下男相手に、旅法師と杣売りが奇妙な話を語り始める。京の都で悪名高き盗賊多襄丸が山中で侍夫婦の妻を襲い、夫を殺害したという。だが、検非違使による調査が始まると、盗賊と妻の証言はまったく異なっており……。
(「シネマトゥデイ」より、http://www.cinematoday.jp/movie/T0006984)
映画『羅生門』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=sBn4cvHKPUc&feature=related
フラッシュバック方式
「典型的な1日の記述の中に、過去を回顧的に語る自伝的語りを挿入する記述スタイル」(石岡 2008: 217)
対位法
「観察者による状況描写と語り手による自伝を織り交ぜて記述」(石岡 2008: 217)
調査結果の公表
地名と氏名は仮名を使う
貧困という社会的にマイナスな事例を扱うため、調査協力者たちが不利益を被らないようにする
「貧困の文化」という概念の提出(ルイス 1986: xix-xxii)
『貧困の文化』にはまとまった記述はないが、その続編にあたる『サンチェスの子供たち』の「序」で貧困の文化について議論している
一般的な特徴
貧困状態で生き抜くための防衛機制をもつ積極的なもの
根強く安定していて世代間で受け継がれていくもの
成員に社会心理学的な影響をあたえ、より大きな国民文化への参加のありかたに影響をあたえる
メキシコでは、下から3分の1の人びとが含まれる
人口の特徴
高い死亡率、低い平均余命、若い年齢集団の割合の高さ、子どもや女性の就労
社会的な特徴
教育や読み書きの水準が非常に低い、労働組合に属さない、政党の党員にならない、社会保険(医療・出産・年金)の恩恵を受けない、銀行・病院・デパート・博物館・美術館・空港などを利用しない
経済的な特徴
絶え間ない生存競争、失業や仕事不足、低賃金、雑多な単純労働、未成年労働、貯金の欠如、慢性的な現金不足、家庭における食物貯蔵の欠如(一日に何回も必要に応じて少量の食物を買う)、所持物の質入れ、地域の金貸しから高金利で借金、近所の人びとで組織される自然発生的な略式の信用貸借、古着や中古の家具の使用
家庭生活の特徴
密集した区域での生活、私生活の欠如、群居性、高率のアルコール依存、暴力によるもめごとの解決、子どもへの体罰、妻を殴る、早期の性体験、比較的高率の母子の遺棄、母中心家族への志向(母方の親類との親しさ)、核家族の優位、まれにしか達成されぬ家族的団結の強調
その他の特徴
現在志向(欲求充足を先延ばしして未来を計画する能力が比較的少ない)
困難な生活状況にもとづく諦観と宿命感
男性優位の考え方と、それに対する女性の殉教者意識
あらゆる種類の病的心理へのいちじるしい寛容
『貧困の文化』に対する賛否両論
高く評価する人もいる一方で、批判も多い
「貧困の文化」という概念が曖昧
貧困の文化が普遍的に存在するとは言えない
方法論的な批判:「分析がまったくなされていない」
『貧困の文化』の続編とも言える『サンチェスの子供たち』が1961年に刊行
1965年にスペイン語版の第2版が公刊された際、メキシコで大論争が起きる
メキシコの一部の知識人が「国辱的な書物」として裁判所に提訴。
しかし、他の知識人たちは「それが現実である」とルイスを擁護し、訴訟は却下される。
『サンチェスの子供たち』は、1978年に、ホール・バートレット監督によって映画化される
ルイスの打ち出した民族誌記述法は、日本の社会学的ライフヒストリー研究に継承されている(石岡 2008: 217)
原典
オスカー・ルイス, 2003, 『貧困の文化──メキシコの<五つの家族>』(高山智博・染谷臣道・宮本勝訳)筑摩書房(ちくま学芸文庫)
参考文献
石岡丈昇, 2008, 「貧困を生きる──O.ルイス『貧困の文化』」『都市的世界 (社会学ベーシックス 4)』世界思想社, 209-218.
内田八州成, 1989, 「ルイス『貧困の文化』」杉山光信『現代社会学の名著』中央公論社(中公新書), 131-148.
新睦人, 2008, 「都市貧困層家族の生活史と日本の親分-乾分関係──O.ルイスの「羅生門」式手法と岩井弘融の病理集団研究」新睦人・盛山和夫編『社会調査ゼミナール』有斐閣, 225-238.
ルイス, 1986, 「序」『サンチェスの子供たち[新装版]』(柴田稔彦・行方昭夫訳)みすず書房, vii-xxv.
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