富山病院看護学校社会学20110615(病院が病人を生み出す可能性)

先週6月15日の授業は、「病院が病人を生み出す可能性」という挑戦的なテーマで話をしました。看護学校の学生の多くは、看護師として病院で働くことになります。病院は病気を治すところと思って看護学校に入学したはずです。その意味では、このテーマは将来の職場をけなすことにもなりかねません。

しかし、映画『カッコーの巣の上で』を見ていると、こうしたテーマで語りたくなってしまいます。主人公のマクマーフィは、一度は「重い精神障がいはない」と判断されて、刑務所(強制農場)への送還が決まりかけていました。それにもかかわらず、最終的には、重篤な精神障がいと診断され、ロボトミー手術をされてしまったのですから。


病院が病人を生み出す原因の一つとして、「病院外と病院内のルールの乖離」があげられるだろうと思います。病院内には、治療という目的を達成するために独特のルールが存在します。例えば、映画『カッコーの巣の上で』に登場する精神病院では、「治療のために、患者ミーティングでは、恥ずかしいプライベートなことでも話さなくてはならない」「治療のために、昼間の間は寝室に戻ってはいけない(そのために病院スタッフが寝室のドアに鍵をかける)」「治療のために練り上げられた日課を変えてはいけない(日課を変えてワールドシリーズを見ることは許されない)」といったルールの存在が指摘できます。これらは、病院外では守る必要のないルールです。主人公マクマーフィの「(ワールドシリーズは)ムショでだって見せてくれたんだぜ。暴動が起こるからな」(映画33分38秒あたり)というセリフは象徴的です。


社会学者のパーソンズは、「病人役割」という概念を提唱しました。簡単に言うと、「病人という役割を受け入れると、正常な社会的責務は免除されるが、医師や看護師による治療行為に協力し、回復に向けて努力する義務が生じる」ということです。上記の「病院外と病院内のルールの乖離」という構造にあてはめて言い換えれば、「病人は、病院外のルールを守らなくても非難されなくなるが、治療を目的とする病院内のルールを守る義務を負う」ということになります。


刑務所の強制労働から逃れるために精神障がいの「ふり」をして精神病院に入院したマクマーフィは、病人役割を受け入れていません。この点が、そもそもボタンの掛け違いでした。病院側はマクマーフィを患者とみなし、病院内のルールの遵守を求めます。しかし、自分を病人だと思っていないマクマーフィは、治療を目的とした病院内のルールを守りません。

そして、マクマーフィが病人にされてしまう過程では、そうしたルール違反が精神障がいの証拠にされてしまっているように思えます。精神障がいは、社会学的に見れば、意図的ではないものの、社会のルールに違反をしてしまう逸脱の一種だからです。

映画では、さらに、ラベリング過程の悪循環が生じているように見えます。ラベリング過程とは、「他者によってラベルを貼られ、そのラベルにもとづいて扱われることによって、そのラベルに見合った自己を形成する」というものです。

ラベリングを映画にあてはめれば、「マクマーフィを病人とみなす病院は病院内ルールの遵守を求める → 自分を病人と思っていないマクマーフィは病院内ルールに違反する → ルール違反が病気の証拠となり、入院期間が延長される → 反発するマクマーフィはさらにルール違反をする → 重篤な精神障がいだと診断される → ロボトミー手術」となります。実際、マクマーフィは、映画のなかで「逆らえば拘束が延びると知っていながら、何の忠告も(してくれないんだ)」(映画1時間11分18秒あたり)と他の入院患者をなじっています。


一方、マクマーフィ以外の患者たちも、「病院外と病院内のルールの乖離」によって、退院できなくなっているように思えます。つまり、精神病院のルールをきちんと守れる模範的患者になればなるほど、病院内での生活が安定したものとなり、外部の社会での生活が困難になっているように見えるのです。

マクマーフィ以外の患者の多くは、治療のために自発的に入院している人びとです。彼らは、ラチェッド看護師長らのやり方に陰で文句をブツブツ言っているにもかかわらず、病院を出て行こうとはしません。彼らは、「病院内のルールにしたがっていれば、病院外のルール(正常の社会的責務)が免除される」という「病人役割」に甘んじているように見えます。

チーフの父親が殺されたエピソードに象徴されるように病院の外の世界は、弱肉強食の世界です。逆に、病院のなかは、不自由ではあっても、ラチェッド看護師長の言いつけさえ守っていれば安全は保障される世界です。入院患者たちは、病院から出て行く気力を失ってしまっているように見えます。


このように考えていくと、マクマーフィのように病院内のルールに反発しても、他の患者たちのように病院内のルールにしたがっても、いずれにせよ入院期間が長引いているように思えるのです。「病院が病人を生み出している」とは、このような意味においてです。とすると、そもそもの「病院外と病院内のルールの乖離」という構造が問題ではないかと疑いたくなります。次回(6月22日)の授業では、病院の内と外のギャップをなくそうとする試みについて考えようと思います。



追記
私と同じような問題関心から『カッコーの巣の上で』を取りあげているブログの記事を見つけました。

「『カッコーの巣の上で』(One Flew Over the Cuckoo's Nest)」『かけだし精神科医のブログ』
http://greenpsychiatrist.blog112.fc2.com/blog-entry-119.html




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